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サピエンス全史ー文明の構造と人類の幸福

 サピエンス全史 (上・下)

       ユヴァル・ノア・ハラリ (訳)柴田裕之 河出書房新社

 本書はホモサピエンスの数万年に及ぶ文明構築の軌跡を描く壮大な歴史書です。

 まずなんといっても目を引くのが、ホモサピエンスネアンデルタール人との違いを読みとくキーワードが「虚構を信じる力」であるとする点です。一般的には、ホモサピエンスのほうがネアンデルタール人よりも知性があるということが当然の前提とされてきました。ところが本書によれば、ネアンデルタール人は10万年ほど前には中東レヴァント地方でホモサピエンスの進出を阻むほどの力を持っていたというのです。では何が後にホモサピエンスの優勢を生んだのかというと、「虚構を信じる力」だと著者は説きます。
 伝説や神話など全く存在しないものを集団で想像し信じることができたためにホモサピエンスは強固な絆をもった集団を形成することができたというわけです。ひとつの神話や宗教のもとに団結したときの協力関係がいかに大きな力を生み、人類史を前へ前へと推し進めてきたかを思うと、この<信の力>が何か素晴らしいものであるように思えてきます。
 ところが、ホモサピエンスは、虚構を信じる力があるという視座を手に入れた途端、虚構に満ち溢れている世界を実現します。著者は事例を畳みかけるように次々と挙げていきます。様々な異民族との接触の結果原型をとどめないほどの大きな変化を遂げた果てでしかないはずの<民族的伝統>、食べることなどできない紙や金属でできた<貨幣の経済的価値>、<男性は女性よりも優れている>とする男尊女卑思想、<黒人は白人よりも劣っている>とする人種的偏見やインドのカースト制等々、物理的・生物学的には何の根拠もないこうした虚構すら信じてしまえる力をもった私たちホモサピエンスの<不都合な真実>が突き付けられるのです。集合的な力を増加させたホモサピエンスは、その一方で個体の苦しみを増やしてきたとする著者の指摘を読むにつけ、<信の力>が<呪われた才能>以外の何物でもないと暗澹たる気分にとらわれます。

 著者は、そのほかにも私たちの思い込みの蒙を拓く事例として、農業革命によってもたらされた農耕生活が狩猟採集生活時代よりも劣る面を紹介します。土地に縛られるようになったために衛生面が低下し、家畜などから疫病へ罹患する確率も高まりました。幅広い種類の植物を摂取していた採集生活に比べると、限られた種類の作物に依存する農耕生活では栄養不足に陥る可能性もあります。さらには貯蔵作物を敵から防護するための仕組みづくりに汲々とせざるをえません。

居心地の悪さを感じたくだりが、ロマン主義に照らして現代の消費社会を読みといたくだりです。
ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限に発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。自らの束縛を解いて多種多様な感情を味わい、様々な人間関係を試し、慣れ親しんだものとは異なるものを食べ、違う様式の音楽を鑑賞できるようにならなくてはならないのだ。」(149頁)
「消費主義は、幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない、と私たちに命じる。」(149頁)
ロマン主義は多様性を奨励するので、消費主義と完全に噛み合う。両者が融合して、無限の『市場経験』が誕生し、その上に現代の観光産業が打ち立てられた。観光産業はたんに飛行機のチケットやホテルの部屋を売るのではない。経験を売るのだ」(150頁)
「そもそも私たちにピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない」(151頁)
 ロマン主義的な消費生活を善と信じる力に拠って立った人には、このくだりを読むと落ち着かないことこの上ないと思います。

 

内容紹介

私たち現生人類につながるホモ・サピエンスは、20万年前、東アフリカに出現した。その頃にはすでに他の人類種もいたのだが、なぜか私たちの祖先だけが生き延びて食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いた。40歳のイスラエル歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は、この謎を三つの重要な革命──認知革命・農業革命・科学革命──を軸に解き明かす。

たとえば、サピエンス躍進の起点となった認知革命はおよそ7万年前に起きた。原因は遺伝子の突然変異らしいが、サピエンスは柔軟な言語をもって集団で行動できるようになり、先行する他の人類種や獰猛な動物たちを追い払った。この認知革命によって獲得した〈虚構、すなわち架空の事物について語る〉能力は神話を生み、大勢で協力することを可能にした。後に国家、法律、貨幣、宗教といった〈想像上の秩序〉が成立するのもここに起因している。

文理を問わないハラリの博学には驚くばかりだが、レトリックの利いた平易な文章も魅力のひとつだ。そんな彼の知見と表現力に導かれ、私たちは三つの革命や壮大な文明史を再認識するだけでなく、人工知能や遺伝子操作の進歩によって現れるかもしれない〈超ホモ・サピエンスの時代〉についても考えることになる。私たちが生みだした、私たちにそっくりのサピエンスがこの世界を支配する時代の到来……ハラリは最後にこう書いている。

〈私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない〉

 

この本の最大の魅力は、スコープが「歴史」に留まっていないこと、そしてそのおかげで「歴史」の理解がより深まるところにある。七万年前からわれわれが生物学と歴史の両方の線路を走る存在になったこと。そして、生物としての順応力を超えたスピードで飛躍してしまったために、不安を抱えたとても危険な種になっていること。超ホモ・サピエンス(シンギュラリティ)は科学技術だけでは語れず、否応なしに哲学、社会学を巻き込んでいく。小賢しく言ってしまえば、リベラルアーツを学ぶことの重要さへの示唆が、この本には詰まっている。 

「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を築いたのは妄想力のおかげ」という主題には説得力があって、この魔法の杖一本でネアンデルタール人駆逐から資本主義隆盛までの大イベントを語りつくす。「農業は史上最大の詐欺」という奇を衒(てら)ったような主張も、種の繁栄か個の幸福かという重たいテーマを考える糸口となっている。

ヘブライ大学での歴史の講義が下敷きになっているそうだ。本文中に「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、(中略)私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するため」というくだりがあるが、この本を一味違った出来栄えにしているのは、社会に出ていく若者たちに歴史への興味を持って欲しい、という一途な熱意かもしれない。理解を助けるエピソードにも工夫があって、こなれた日本語訳と相俟って、読みやすい。 

著者紹介

ユヴァル・ノア・ハラリ

歴史学者。1976年生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書がある。オンライン上での無料講義もおこない、多くの受講者を獲得している。

目次

上巻目次

歴史年表

第1部 認知革命

第1章 唯一生き延びた人類種
不面目な秘密/思考力の代償/調理をする動物/兄弟たちはどうなったか?

第2章 虚構が協力を可能にした
プジョー伝説/ゲノムを迂回する/歴史と生物学

第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
原初の豊かな社会/口を利く死者の霊/平和か戦争か?/沈黙の帳

第4章 史上最も危険な種
告発のとおり有罪/オオナマケモノの最期/ノアの方舟

第2部 農業革命

第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
贅沢の罠/聖なる介入/革命の犠牲者たち
第6章 神話による社会の拡大
未来に関する懸念/想像上の秩序/真の信奉者たち/脱出不能の監獄

第7章 書記体系の発明
「クシム」という署名/官僚制の驚異/数の言語

第8章 想像上のヒエラルキーと差別
悪循環/アメリカ大陸における清浄/男女間の格差/生物学的な性別と社会的・文化的性別/
男性のどこがそれほど優れているのか?/筋力/攻撃性/家父長制の遺伝子

第3部 人類の統一
第9章 統一へ向かう世界
歴史は統一に向かって進み続ける/グローバルなビジョン

第10章 最強の征服者、貨幣
物々交換の限界/貝殻とタバコ/貨幣はどのように機能するのか?/金の福音/貨幣の代償

第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
帝国とは何か?/悪の帝国?/これはお前たちのためなのだ/「彼ら」が「私たち」になるとき/
歴史の中の善人と悪人/新しいグローバル帝国

原 註
図版出典

 

下巻目次


第12章 宗教という超人間的秩序
神々の台頭と人類の地位/偶像崇拝の恩恵/神は一つ/善と悪の戦い/自然の法則/人間の崇拝

第13章 歴史の必然と謎めいた選択
1 後知恵の誤謬/2 盲目のクレイオ

第4部 科学革命

第14章 無知の発見と近代科学の成立
無知な人/科学界の教義/知は力/進歩の理想/ギルガメシュ・プロジェクト/
科学を気前良く援助する人々

第15章 科学と帝国の融合
なぜヨーロッパなのか?/征服の精神構造/空白のある地図/宇宙からの侵略/
帝国が支援した近代科学

第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
拡大するパイ/コロンブス、投資家を探す/資本の名の下に/自由市場というカルト/
資本主義の地獄

第17章 産業の推進力
熱を運動に変換する/エネルギーの大洋/ベルトコンベヤー上の命/ショッピングの時代

第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
近代の時間/家族とコミュニティの崩壊/想像上のコミュニティ/変化し続ける近代社会/
現代の平和/帝国の撤退/原子の平和

第19章 文明は人間を幸福にしたのか
幸福度を測る/化学から見た幸福/人生の意義/汝自身を知れ

第20章 ホモ・サピエンスの時代へ
マウスとヒトの合成/ネアンデルタール人の復活/バイオニック生命体/別の生命/特異点/
フランケンシュタインの予言

あとがき――神になった動物
謝 辞
訳者あとがき
原 註
図版出典
索 引