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「幻の」東京五輪・札幌五輪・日本万博

東京五輪・万博1940

    夫馬 信一  原書房 

幻の東京五輪・万博1940

幻の東京五輪・万博1940

 

本書を読むまで知らなかったのが、1940年の同じ年に東京五輪札幌五輪・日本万博が開催する予定だったこと。そして、公開競技として、野球があったこと、競技としての美術があったこと。

  個人的に印象に残ったのは、最近(2018~)、フィギュアスケートの紀平選手の活躍が素晴らしいですが、1936年(昭和11年)2月 のガルミッシュ・パルテンキルヘンネ冬季五輪大会にフィギュアスケート女子の稲田悦子選手が11才で出場し、堂々の10位になっていたことです。もし、1940年に札幌五輪が開催されていれば、稲田選手は活躍していたと思います。

 本書は、豊富な写真・図版・新聞紙面等が掲載されてあり、それに説明もされているので、そこだけを読んでも十分楽しめます。

内容紹介

真珠湾攻撃の前年、1940年に開催予定だった祭典はなぜ幻に終わったのか。350点あまりの貴重な写真・図版を駆使し、検証する。

一九四〇(昭和一五)年に開催予定だった東京五輪札幌五輪、日本万博について、豊富な写真や図版を駆使してビジュアルに読み解く。五輪マークを意匠登録した人物、五輪・万博ポスターを作った人物、建設された施設、挫折に至った真相など、その全貌に迫る。

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 2013年9月7日(日本時間は8日)、ブエノスアイレスで開かれていたIOC総会において、2020年に開催されるオリンピック夏期大会の開催都市が「東京」と決定された。

 かつて日本を熱狂の渦に巻き込んだ1964年の第18回大会から、なんと56年ぶりに東京に聖火が帰ってくる。しかし、東京でのオリンピック開催が決定したのは、今回で2度めではない。

 実は東京がオリンピックの開催権を得たのは、今回で3度めの出来事だった。戦前の1940(昭和15)年に、第12回大会が同じ東京でおこなわれるはずだったのだ。

 この1940年の「幻」の東京オリンピックについては、ご存知の方も多いだろう。そのころ、全世界に戦争の暗雲が垂れ込め始めており、日本もすでに日中戦争を始めていた。

そして開催が予定されていた1940年の翌年暮れには、日本はアメリカとの泥沼の戦争へと突入していく。東京でのオリンピック開催が計画されていたのは、そんな時代だった。

当時はオリンピック夏季大会を開催する国が冬季大会も開催するのがほぼ恒例となっていたため、同じ1940年に札幌で冬期オリンピックを開催することになっていた。

 さらにこの1940年には、日本で初めて万国博覧会の開催も計画されていたのだ。西欧社会中心だった当時の世界で、国際的な大規模イベントが3つもこの日本に集結することになっていたのである。

 その興奮・熱狂ぶりたるや、今回の2020年大会決定の比ではなかったはずだ。

 そんなオリンピック東京開催の発端は、1929(昭和4)年にさかのぼる。スウェーデン国際オリンピック委員会IOC)委員で後に第4代IOC会長となるジークフリートエドストロームが、東京で開かれた「国際動力会議」出席のため来日。

 そのとき、早稲田大学教授で日本学生陸上競技連盟会長の山本忠興と会って、2人の間で東京開催が話題にのぼったのだ。

 これが口火となったか、1940年の紀元2600年神武天皇生誕2600年)記念事業を模索していた東京市長永田秀次郎に、秘書課職員の清水照男がオリンピック開催を提案。「幻」の東京五輪は、まさにこのときに始動した。

 1932(昭和7)年7月には、ロサンゼルス・オリンピックと同時に開催されたIOCのロサンゼルス総会で、第12回オリンピック開催地として東京を指定することを要請。

 永田市長からの正式招請状を託されたのは、IOC委員の岸清一と嘉納治五郎である。しかし、ローマ、ヘルシンキはじめ錚々たる立候補都市の顔ぶれと比べると、東京はいささか見劣りしたといわざるを得ない。

 翌1933年には永田に代わって牛塚虎太郎が新市長に就任するが、五輪招致の方針に変化はなかった。

 1935年2月のIOCオスロ総会では、すでに候補地はローマ、東京、ヘルシンキの3都市に集約。このときローマについては、イタリア首相ムソリーニより譲歩の確約を得ていた。

 ただ、最終的には開催地は決定せず、次回1936年のIOC総会まで持ち越しとなってしまう。

 そこで日本側としては、「奥の手」を使うことにした。IOC会長であるアンリ・ド・バイエ=ラトゥールを日本に招待しようというのだ。

 こうしてバイエ=ラトゥールは、1936年3月19日に横浜に上陸。明治神宮外苑競技場などの視察をおこなうなど、精力的に日本を見て回った。

 とはいえ、その日程は、すべてが東京大会開催の可能性を探るためではなかった。外国人の日本訪問としては定番の京都・奈良見物なども組み込まれており、人気女優と舞台で握手したり、日本側の接待攻勢を受けたりと、物見遊山的な要素も多分にあった。

 高価なアンティークなどの記念品も贈呈されていたようで、「至れり尽くせり」の旅であったことは間違いないだろう。

 これが功を奏してか、バイエ=ラトゥールはすっかり親日家に変貌。万難を排したかたちで、同年7月のIOCベルリン総会に臨むことになった。 

著者紹介

夫馬 信一(ふま・しんいち)

夫馬信一 1959年、東京生まれ。1983年、中央大学卒。航空貨物の輸出業、物流関連の業界紙記者、コピーライターなどを経て、書籍や雑誌の編集・著述業につく。主な著書に『日本遺構の旅』(昭文社)、『ヴィンテージ飛行機の世界』(PHP研究所)など。2016年1月発売の『幻の東京五輪・万博1940』(原書房)は、9年の歳月を費やし札幌、大阪、長崎など全国各地への取材を経て完成した。

目次

プロローグ 2013年、ブエノスアイレス
第1章 祭典前夜
第2章 第12回オリンピック競技大会・東京
第3章 第5回オリンピック冬季競技大会・札幌
第4章 紀元二千六百年記念日本万国博覧会
第5章 世界が祭典を待っている
第6章 祭典はチャンスだ
第7章 歌い奏でる祭典
第8章 祭典のアート・ギャラリー
第9章 祭典を呼ぶ祭典
第10章 「幻」の五輪、もし戦わば
第11章 暗転する祭典
第12章 祭典の痕跡
エピローグ 祭典の「遺産」

あとがき

参考資料

協力

参考図書

 

紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)

紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)

 

 

東京は燃えたか オリンピック1940-1964-2020 (朝日文庫)

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関連サイト

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https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2018/07/23/114616 
2018/12/14 - 1940年東京オリンピックポスター/wikipediaより引用. HOME >; いだてん .... 戦後は、日本初となる1964年東京オリンピックの開催に漕ぎ着けるのでした。 詳細は以下の .... 【参考文献】 『幻の東京五輪・万博1940 』夫馬信一(→amazon link)