近代東京の地政学
青山・渋谷・表参道の開発と軍用地
本書は、 地形と軍事が近代東京の地域社会に与えた影響を地政学の視点から読み解く本です。2020年、五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の所在地はなぜ、都心の西側なのか。1657年の明暦の大火で江戸城内にあった幕府の火薬庫が爆発したのを機に、外堀の外側の千駄ヶ谷に火薬庫が移され、継いだ明治政府は青山に練兵場が開設するなどの政策で、江戸城周辺が軍事色の濃い空間となります。戦後は占領軍にそれらが接収されたが、1964年の東京五輪前に返還されて競技場となりました。成り立ちを軍事の側面から見ると、全く別の顔が見えてきます。
内容紹介
流行最先端のものがあふれる青山・渋谷・表参道には、江戸期から昭和戦前までの様々な痕跡も見出すことができる。新国立競技場の場所には幕府の火薬庫があり、渋谷には水車小屋が点在し、表参道では陸軍兵士が行進した。東京西郊の「山の手」台地は近代都市空間としてどう開発されたのか。地形と軍事が地域社会に与えた影響を地政学の視点を交え読み解く。
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前回の東京オリンピックの開会式が行われた国立競技場を取り壊し、2020年の東京オリンピックの会場となる新国立競技場の建設が進んでいる。東京・千駄ヶ谷周辺にはこのほかにも神宮球場などスポーツ施設が集中している。都心の一等地なのに、これだけ広い土地が確保できたのはなぜだろう? という疑問に本書『近代東京の地政学』(吉川弘文館)が答えてくれる。
軍事施設の変遷を解説
NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」風に言うと、「江戸幕府の火薬庫が千駄ヶ谷にあったから」というのがその答えだ。著者の武田尚子さんは早稲田大学人間科学学術院教授。江戸の古地図などの史料を参考に、東京・西南部に置かれた軍事施設の変遷を解説している。
幕府の「焔硝蔵」は最初、江戸城にあった。明暦の大火で本丸、二の丸が炎上した際に奇跡的に爆発は免れたが、危険性が認識された。8年後に移転した先が千駄ヶ谷だ。甲州街道と大山道にはさまれ、譜代大名の屋敷に囲まれていた。「谷」なので火薬作りに欠かせない水も確保できた。
明治になり軍用地が必要になると、この土地の周辺を買収し、青山練兵場が作られた。火薬庫は大塚に移転した。練兵場が出来ると、移動のための鉄道が必要になる。現在のJR中央線の前身、甲武鉄道は当初、新宿から北東方向に市ヶ谷に向かう計画だったが、陸軍から青山練兵場付近を通過するよう要望された。赤坂離宮の下にトンネルを掘って通過する段取りも陸軍が立てた。練兵場に引き込まれた支線に軍用停車場が作られ、そこから兵士は日清戦争に出征した。中央線が新宿から四谷へ南東方向に遠回りしているのは、この練兵場のためだという。
「尚武」から「勝負」へ
さらに軍備拡張で代々木に練兵場が作られた。明治天皇の崩御とともに明治神宮の内苑は代々木御料地に、外苑は青山練兵場跡地に作られた。外苑には文化施設、体育施設が作られ、国立競技場へと連なる系譜がある。
第二次大戦後、代々木練兵場跡地は米軍に接収され、「ワシントンハイツ」と呼ばれ家族住宅地区となった。日本に返還されるきっかけになったのが1964年の東京オリンピック開催。選手村に使うのが条件だった。このほか、屋内総合競技場も作られ、オリンピックのサブ会場となった。二つの練兵場がオリンピックの二つの会場になった訳だ。
武田さんは、「寛文五年(1665)に千駄ヶ谷焔硝蔵が設けられて以来、三五〇年余、『尚武』から『勝負』へと、連綿と『武』に親和的な土地の特徴が存続してきた」と結んでいる。
前回のオリンピックには、こうした江戸以来の「地政学」の影響が見られた。今回は湾岸地区にも選手村や多くの会場が展開する。「武」のにおいはおおいに薄らぐだろう。
著者紹介
武田尚子(たけだ・なおこ)
お茶の水女子大学文教育学部卒業 東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会学) 武蔵大学社会学部教授を経て、早稲田大学人間科学学術院教授。
【主要編著書】『マニラへ渡った瀬戸内漁民―移民送出母村の変容』(御茶ノ水書房、2002年)、『もんじゃの社会史―東京・月島の近現代の変容―』(青弓社、2009年)、『ミルクと日本人―近代社会の「元気の源」―』(中公新書、2017年)、『荷車と立ちん坊―近代都市東京の物流と労働―』(吉川弘文館、2017年)
目次
はじめに―探訪「青山・渋谷・表参道」
第一章 江戸・東京西郊の地政学
第ニ章 幕府の焔硝蔵
江戸城と火薬/「山の手」の火薬庫/鉄炮と鷹狩/黒船来航と火薬製造/幕末の火薬争奪
第三章 渋谷の町方・村方―江戸から明治へ
第四章 明治の青山―火薬庫から青山練兵場へ
近代の軍制と軍用地/東京西南部への展開/青山練兵場と自由民権
第五章 軍用地と渋谷
軍事都市東京/代々木村の強制移転/天皇の行幸路/渋谷の人口急増
第六章 大正の表参道と明治神宮
東京西南の地政的シンボル/神宮造園の資源動員/大正青年と造営作業/表参道の陥没と疑獄事件
第七章 道玄坂と盛り場の形成
道玄坂の混雑/開発デベロッパーの参入/山の手の消費前線/ターミナルデパートの登場
終章 「二つの練兵場」から「二つの国立競技場」へ
注
参考文献
あとがき―山手の胸黒、下町の襟黒
参考図書
関連サイト
近代東京の地政学 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学 ...
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b427393.html