映画 日本国憲法 読本
島多惣作,竹井正和,ジャン・ユンカーマン,
- 作者: 島多惣作,竹井正和,ジャン・ユンカーマン,松本薫,古山葉子
- 出版社/メーカー: フォイル
- 発売日: 2005/04/01
- メディア: 単行本
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本書は、映画監督ジャン・ユンカーマンの「映画日本国憲法」が基になってます。この映画は、多くの世界各国の学者、文化人が、世界からみた日本国憲法と日本人を主題に語りつつ、様々な映像をシンクロさせたドキュメントです。
本の方は、この映画のシナリオを収録、加えて日本国憲法全文と、出演者へのインタビューの三段構えの構成です。
憲法草案作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、今の憲法が外国の押しつけだと批判する人に対して、こんな事を言っています。
「中国から漢字が来ましたでしょ。仏教はインドと中国から。そして陶器、雅楽などがありますね。みんな外から来て日本のものになりました。だからいい憲法だったらそれを受けて、いいように使えばいいじゃないかって私は思うんです。」
採録されたシナリオは、完璧に構築されたノンフィクションを読んでいるみたいです。
内容紹介
世界から見たわたしたちの憲法。
チョムスキー、ジョン・ダワー、ダグラス・ラミスらが憲法を語る。
憲法制定の経緯から、平和憲法の意義まで。憲法とは誰のためのものか、戦争の
放棄を誓った前文や第九条をどう考えるのか。
さまざまな立場で活躍する世界の知識人への貴重なインタビュー集。
著者からのコメント
ジャン・ユンカーマン(映画監督)
憲法改正は、本来、その国独自の問題である。しかし現時点における改憲は、いやおうなく他の二つの現実と結びついてくる。一つは日米同盟。もう一つは日本とアジア諸国との関係である。改憲論者は「集団的自衛」といった、あいまいで穏便な言葉を使う。日本は「普通の国家」に生まれ変わるべきだと主張する。しかし、彼らが望んでいるのは、日本がふたたび戦争を行えるようになることだ。そして、取るに足らないような口実をでっちあげて頻繁に戦争に走り(アメリカ人である私にとっては慙愧に耐えない現実だが)、悲劇的な結末を招くアメリカと足並みを揃えて戦うことなのである。
この映画の製作過程で私たちはいくつかの国を旅した。そして、とくに香港とソウルで、歴史が今なおいかにダイナミックに生き、流れ続けているかを知った。戦争は60年前に終わったかもしれない。しかし、人々の戦争体験は生き続けている。日本の「世界市民の一員としての責任」を説く政治家たちが、一方では自国の歴史と向き合い、自分たちの先輩が遂行した戦争の責任を引き受けることを拒絶する。そうした論理は永田町では通用するかもしれないが、近隣国家に対しては意味をもたない。戦争の悲劇と、それを忘れない義務は、条約や時間によってケジメがつくものではないし、終わるものでもない。
歴史の活力には別の面もある。歴史は歩み続け、時の流れはどんどん戦争から遠ざかる。しかし流れゆく先には、紛争の平和的な解決や人権の拡大、つまり日本国憲法の精神があるはずだ。日本国憲法は、それが公布された時点では先駆的な文書であったし、私たちが今回の取材で再確認したように、今も世界中の人々が求めてやまない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨てることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。
私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。
平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。
憲法を再検討し、評価し直す作業は、社会にとって健全で意味のある試みだ。そのプロセスにおいては、沖縄県辺野古の活動が励ましとなるだろう。沖縄にはすでに38もの米軍基地が存在するのに、この地でさらに海上ヘリポートの建設が計画されている。しかしこの小さな村の人たちは、9年もの間、アメリカ軍と日本政府の権力と対峙し、一歩も退かず、戦争に対して「ノー」を唱え続けてきた。世界のなかの日本国憲法は、そこに存在している。
[製作ノートから] 山上徹二郎(プロデューサー)
この『映画 日本国憲法』は、2002年に製作した『チョムスキー9.11』の続編という位置づけで企画しました。
2001年の9.11同時多発テロを受けて始まった、アメリカの孤独で強引な他国への武力行使と、それをチャンスと捉えアメリカに追随して早々に自衛隊の海外派兵へ踏み出した日本政府のやり方に、強い怒りとともに脱力感を感じていました。アメリカの一国主義が、世界中にテロを広げるのではないか。日本はこのまま憲法改正へと進み、軍事大国化への歯止めがなくなるのではないか。当たり前のように思っていた平和を志向する社会的な意志が、一挙に崩れ始めたように思いました。
そうした中で、今私に何ができるのか、という問いから始めました。一人の個人として声を上げる。そして、個人としてだけでなく自分が属している社会、例えば地域や職場や職業という意味ですが、そこで出来ることを探す。映画プロデューサーである私にとって、それは映画を作ることでした。
この映画で伝えたかったのは、知識や情報ではありません。映画の中で、明快な意志をもって発言する知識人たちの態度に、連帯という言葉を思い出してほしいと思いました。それは、この映画製作を通して私自身が脱力感から抜け出すきっかけとなったものでもありました。平和を守ろうと行動する人たちを支え勇気づけるのは、何よりも人々の連帯感だと思っています。
著者等紹介
ジャン・ユンカーマン(John Junkerman、1952年 - )
アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。生後程無くしてアメリカ軍の横須賀基地に赴任した軍医の父親と共に神奈川県葉山町に住むが、1年後に帰国。高校時代はベトナム戦争が泥沼状態となる中、反戦運動に加わり徴兵制反対デモを行う。1969年再来日し、慶應義塾志木高等学校に学ぶ。その後、スタンフォード大学東洋文学語科[1]、ウィスコンシン大学大学院を経て、日米両国に於いてジャーナリストとして活動しており、流暢な日本語が話せる。
一方で映画製作にも関わり、1988年ドキュメンタリー映画『HELL FIRE 劫火』でアカデミー賞記録映画部門にノミネート、1992年には『夢窓 庭との語らい』でエミー賞を受賞する[1]。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以後、アメリカの単独行動主義を批判しており、同じく同国の対外政策に批判的な言語学者のノーム・チョムスキーへのインタビュー集『チョムスキー9.11』(2002年)を発表し、世界的に話題となった。
2005年、チョムスキーやジョン・ダワー、ダグラス・ラミスら各国の識者が日本国憲法、就中第9条の意義について語る『映画 日本国憲法』を発表。本作はイラク戦争以降に高まった日本の性急な改憲の動きに合わせ製作したもので、ユンカーマン自身も「憲法を現実に合わせようとしているのではなく、『戦闘ができない』現実を変えようとしているんです」[2]として、改憲に極めて批判的である。
現在も日米両国を拠点に活動しており、特に日本では九条の会や9条世界会議等に参加し、護憲派の立場から発言する機会が多い。
目次
まえがきー山上徹二郎(「映画日本国憲法」プロデューサー)
「映画日本国憲法」
「日本国憲法」全文
インタビュー全文(ジョン・ダワー
ノーム・チョムスキー
ベアテ・シロタ・ゴードン
チャルマーズ・ジョンソン
日高六郎
韓洪九)
資料(大日本帝国憲法
ポツダム宣言
憲法調査委員会試案)
あとがきージャン・ユンカーマン(「映画日本国憲法」監督)
参考資料
関連サイト