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太平洋戦争下の日系アメリカ人強制収容所の子どもたち

       トパーズの日記

日系アメリカ人強制収容所の子どもたち

 M・O・タンネル&G・W・チルコート

      [訳]竹下 千花子   金の星社

トパーズの日記―日系アメリカ人強制収容所の子どもたち (ノンフィクション知られざる世界)

トパーズの日記―日系アメリカ人強制収容所の子どもたち (ノンフィクション知られざる世界)

 

 

 内容紹介

 1941年、太平洋戦争がおきると、日系アメリカ人は家も財産もうばわれ、祖国アメリカによって強制収容所へ送られた。砂漠のきびしい収容所生活。でも、子どもたちには新発見の毎日だった。ユタ州トパーズ収容所のようすを、子どもたちの日記と写真でつづる、平和と国際社会を考えるノンフィクション。 

「すべての者に自由と正義を!」

  1941年にはじまった太平洋戦争によって、アメリカ市民として暮らしていた、日系アメリカ人の生活は一変します。家も財産もうばわれ、かれらは祖国のアメリカによって、敵として強制収容所に入れられました。それでも、若い日系人の男性は、アメリカのために勇敢に日本軍と戦っていました。子どもたちは収容所のなかでも、アメリカ国旗にむっかて心から忠誠を誓っていたのです。

 トパーズ収容所内にあった小学校の、リリアン・ヤマウチ先生のクラスの絵日記は、収容所での不自由な生活や、日系人が受けた差別との戦いの歴史を、わたしたちに教えてくれるのです。 

著者等紹介

 M・O・タンネル(Michael O Tunnell)

G・W・チルコート(George W Chilcoat)

ともにブリガム・ヤング大学の教育学準教授でユタ州のオーレムに在住。チルコートがヤマウチ先生のクラスの絵日記について知ったのは、トパーズ収容所の跡地を訪れたときのこと。後日、彼のオフィスで同僚のタンネルが日記の写真複写を目にし、本書の執筆を思い立った。掲載写真の多くは、2人がユタ州歴史学会の記録保管所で、オリジナルの絵日記とともに発見したもの。タンネルは、このほかに3冊の児童向け作品を書いている。

竹下 千花子(たけした・ちかこ)

慶応義塾大学文学部卒業。日本アイ・ビー・エム(株)、米国IBM勤務を経て、フランスINSEAD大学院よりMBA取得。ヨーロッパ、東南アジア、中国などに長期滞在するうちに、技術と人間社会の問題に興味を持って、米国バージニア工科大学院で研究中。児童書の翻訳に、「ハンナのすてきなホテル」「ゆうれいのひみつ」(金の星社)などがある。一児の母。

目次

はじめに

第1部 アメリカの日系人が収容所に送られるまで

日本の攻撃とアメリカの宣戦布告
日系人への人種差別
理由なく逮捕された人びと ほか
第2部 ヤマウチ先生のクラスの絵日記

1943年3月砂漠のなかの収容所
1943年4月ジェームズ・ワカサさんの死
1943年5月戦場へむかった日系人兵士 ほか

戦争がおわってから

訳者あとがき

用語解説

参考図書

アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所
 

 

NO‐NO BOY 日系人強制収容と闘った父の記録

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二世兵士 激戦の記録―日系アメリカ人の第二次大戦―(新潮新書)

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