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20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記

        My Brain is Open

  20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記

Bruce Schechter [訳]クラべルロード 共立出版

My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記

My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記

 

 

 本書は、20世紀最大の数学者であり誰もが奇人と認めるポール・エルデシュの評伝です。その風采は、「分厚いメガネをかけてしわくちゃのスーツをまとった小柄でひ弱そうな男。男は片方の手には家財一式を入れたスーツケースを、もう片方の手には論文を詰め込んだバッグを持って夜昼の見境なく訪問先の玄関をノックする」と記されています。
 第1章「旅」では、エルデシュが、「屋根が変わればまた一つ新しい証明が生まれる」という言葉を好んで使い、「二つの頭脳は一つに勝るという単純な方程式」を実践してきたことが紹介されています。
 第2章「証明」では、エルデシュが生まれた20世紀初めのハンガリーが、フォン・ノイマンを初めとする多数の科学者や数学者、芸術家などを輩出したことについて触れています。また、エルデシュが最も崇拝していた「神の書にあるそのままの証明」について、「最高の証明とは、最も簡単で最も優美な証明のことである」と解説しています。
 そして、4歳にして負の数を発見したエルデシュ少年の「二番目の大発見」である、「僕の人生を数える年数の序列はいつか途絶えるものなのではないか」という「非存在証明」によって、「僕は泣き出してしまった。僕は自分がいずれ死ぬことを知ってしまったんだ。そのときから若くなりたいと思うようになった」とエルデシュが語っていたことを紹介しています。
 第3章「出会い」では、ギムナジウムに通い始めたエルデシュが、「豊富な数学演習を教師や生徒に提供する」ために作られた中学、高校向けの数学誌『コマル』と出会い、13歳の時に初めて彼の解が掲載されたことなどが紹介されています。
 第4章「ハッピーエンド問題」では、「生涯にわたり一人になることを嫌い、友人や研究仲間の中に自分を置くように努めていた」エルデシュが、一方では、「人ごみの中にいてすら侵すことのできない特殊なバリアによって遮られ」、「深く孤独だった」と述べられています。
 第5章「西洋史を変えた出題」では、エルデシュの旅行熱を、「1934年から彼は一週間同じベッドで眠ることはめったになく、マンチェスターから頻繁にケンブリッジ、ロンドン、ブリストルなどの大学へ旅していた」という弟子の言葉を紹介しています。
 第6章「失われた楽園」では、1938年に「知のパラダイス」、プリンストン高等研究所に職を得たエルデシュが、生涯で最も多産な1年半を過ごし、そして契約が延長されないことを知って大きな衝撃を受けたことが紹介されています。また、有名なモンティ・ホール問題にエルデシュがだまされたポイントが解説されています。
 第7章「集合論」では、戦争や友人や家族の運命を心配したエルデシュが、1941年にはエルデシュ語でいう「死」、すなわち、「独自の数学を生み出さない状態」にあり、年に4本しか論文を発表しなかったことが述べられています。
 また、この年にエルデシュが、日本の数学者、角谷静夫らとロングアイランドのレーダー設備を撮影してしまい、スパイ容疑で逮捕された顛末が紹介されています。
 第9章「サムとジョーとアンクルポール」では、エルデシュの研究の多くに通じるテーマが「秩序と無秩序の微妙な関係」であり、典型的には、「完全な無秩序は不可能であることを示した」ラムゼー理論をランダムグラフを用いて追求した研究であることが紹介されています。また、「強い平等意識と個々人の人間性や要求に対する気遣い」という意味で「リベラル」であったエルデシュが、「政治権力との軋轢を招き」、「生涯を通じてサムやジョーとの確執を繰り返」していたことが述べられています。
 さらに、エルデシュの仲間になる唯一の条件は、数学の才能であり、彼が多くの天才を育て、その中でも「最も深い愛情を注いだ」ラヨシュ・ポーシャが、大学進学後、「数学をすることよりも人に教えることにもっと興味がある」と気づき、数学をやめて教師になった際には、「あんなに若くして死んでしまうとは気の毒だった」と嘆いていたエピソードが紹介されています。
 第10章「さすらいの数学者」では、エルデシュが、「いつかは物理的に可能なすべての国を訪れる人」である「エルゴート的人間」であり、「続けざまにあちこち移動して多数の数学者と会うこと」が、「エルデシュを枯渇させるどころか、さらに多産な方向に促した」ことが紹介されています。
 また、複雑ネットワーク理論で必ず紹介される「エルデシュ番号」(または「エルデシュ数」)については、「エルデシュ番号とエルデシュ番号の知識を伝え合うことは、数学者の間で好まれるパーティーゲームである」と紹介されています。
 そして、20世紀半ば以降に数学界で共同研究が急増したことについて、エルデシュが、「共同研究に向かう傾向に拍車をかけ」、「最も頻繁にエルデシュと論文を書いた人たちは他の数学者とも頻繁に共同していたこと」は、彼らがエルデシュから「数学だけではなく社会的に数学をするというスタイルも学びとっていた」ことを示していると述べています。
 75歳を迎え、名前にはPGOMLDADLDCD、すなわち「みすぼらしくも偉大なる老人、生きた死者、考古学的発見物、法的にも死者、死人として計算」というイニシャルが付け加えられるようになった後、1996年9月20日エルデシュは83年の生涯を閉じます。エルデシュは生前、「仕事をしている最中に急死する」という願いを頻繁に口にしていましたが、著者は、エルデシュが、「実際の死がこの予想にかなり近いところを証明したことにきっと満足しただろう」と述べています。1ヵ月後、エルデシュの墓の前に集まった友人の一人は、「僕たちが背負ったエルデシュ番号はもう減らないんだ」という嘆きの言葉を漏らしています。
 本書は、世紀の奇人にして天才数学者であるエルデシュという数学者以外にはあまり知られていない人物の魅力を伝えてくれる一冊です。

内容紹介

50年以上の間,世界中の数学者たちはドアの前でノックに応え,その男を迎えた。分厚い眼鏡をかけてしわくちゃのスーツをまとい,片手には家財一式を入れたスーツケース,もう一方の手には論文を詰め込んだバッグをもって,My brain is open! と宣言する小柄でひ弱そうな男。その訪問者こそ20世紀最大の数学者であり,間違いない奇人,ポール・エルデシュである。
本書は,この不可思議な天才,そして魅力的な数学の世界における彼の旅の足跡をたどる話である。著者Schechterは,愛情,洞察,ユーモアをもって,この天才数学者ポール・エルデシュの風変わりな世界へわれわれを導く。[原著:My Brain is Open;The Mathematical Journeys of Paul Erdos, Bruce Schechter, Simon & Schuster,1998]

 

ポール・エルデシュエルデーシュ・パール(Erdős Pál, Paul Erdős; (本姓: Engländer), 1913年3月26日 - 1996年9月20日)は、ハンガリーブダペスト出身のユダヤ系ハンガリー人数学者である。20世紀で最も多くの論文を書いた数学者である。彼は、生涯で500人以上という数多くの数学者との共同研究を行ったことと、その奇妙なライフスタイルで知られていた(タイム誌は彼を「変わり者中の変わり者」(The Oddball's Oddball)と称した)。彼は、晩年になってさえも、起きている時間を全て数学に捧げた。彼が亡くなったのは、ワルシャワで開催された会議で幾何学の問題を解いた数時間後のことだった。

数論組合せ論グラフ理論をはじめ、集合論確率論級数論など幅広い分野で膨大な結果を残した。グラフ理論・数論などにおける確率論的方法、組合せ論の種々のテクニックは著しく、特にセルバーグと共に素数定理の初等的な証明を発見したことは有名である。彼はラムゼー理論を擁護し、貢献し、秩序が必ず現れる条件を研究した。彼の数学は、次々に問題を考えてはそれを解くという独特のスタイルであったが、彼が発する散発的な問題が実際には理論的に重要なものであったり、あるいは新しい理論の発展に非常に重要な貢献をした例も少なくない。

エルデシュは生涯に約1500篇の論文(多くは共著)を発表した。これ以上の論文を発表した数学者は、18世紀のレオンハルト・オイラーのみである。

彼は数学は社会活動であるという信念を持っており、他の数学者と数学論文を書くという目的のためだけに巡回生活を営んでいた。エルデシュが多くの研究者と論文を執筆したことから、エルデシュ数が生まれた。これは、論文の共著者同士で研究者をつないだときに、エルデシュとの間の最短経路上の人数を表したものである。

著者紹介

シェクター ブルース(Schechter Bruce )
マサチューセッツ工科大学Ph.D.(物理学)、前“Physics Today”エディタ、

前“Discover”スタッフエディタ。

目次

第1章:旅
第2章:証明
第3章:出会い
第4章:ハッピーエンド問題
第5章:西洋史を変えた出題
第6章:失われた楽園
第7章:集合論
第8章:ポール・エルデシュ博士の素数
第9章:サムとジョーとアンクルポール
第10章:さすらいの数学者

あとがき

参考文献

参考図書

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)

 

 

完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)

完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)

 

 

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

 

 関連サイト

3月26日 数学者ポール・エルデシュが生まれる(1911年)(ブルーバックス ...


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63587 
2019/03/26 - 数論やグラフ理論を初めとする、さまざまな領域で活躍した天才数学者ポールエルデシュ(Erdős Pál[ハンガリー語;カナ表記にするとエルデーシュ・パールとなる、1913-1996年)が、この日、ハンガリーブダペストに生まれました。