読書案内

お薦めの本を紹介します

美貌の人

     美貌の人

歴史に名を刻んだ顔

中野 京子    PHP新書

 

 

 本書は、美男美女の肖像画にまつわる知られざるエピソードをまとめた一冊です。描かれた人と描いた人の知られざるエピソード。ちなみに、カバーに使われているのはクラムスコイの「忘れえぬ人」です。
 絵解きということではやはり宗教、神話絡みの話が面白い。ペルジーノの〈アポロンとマルシュアス〉。マルシュアスの笛が評判になったのを妬んだの竪琴の名手アポロンは演奏試合で無理やりマリュシュアスに打ち勝った末に惨殺した。一見牧歌的なこの絵にはどす黒い嫉妬が渦巻いています。

 女性画家アルテミジアによる〈ユーディトと侍女〉。旧約聖書外典のワンシーンです。アッシリア軍に包囲された古代ユダヤの街を救った救国の美女を描いています。レスリングの選手のような太い首。高い位を示すきらびやかな衣服。長剣を軽々と肩に担ぎ、緊迫した表情で背後で敵方を振り返る一瞬。中野先生も絶賛の男前女子。これを描いたアルテミジアは年上の既婚男性と不倫したかどで罰せられるが、そんなスキャンダルもものともせず、数少ないアカデミー会員の地位も手に入れたといいます。

 クリヴェッリの〈マグダラのマリア〉は表情といいプロポーションといい、まるでツンデレ美少女アニメキャラですが、光輪、香油壺、長い髪といった人物を特定する約束事がきちんと描きこまれており、娼婦から聖女になったマグダラのマリアだということがわかります。この「娼婦から聖女に」のギャップはどんな時代の人間も惹きつけられるらしく、西洋では夥しい数のマグダラのマリアが描かれてきました。このマグダラのマリアは、ほとんど肌を出さず、モデルように細身で、目つきも鋭いです。中野先生は、この女性はクリヴェッリが監禁していた人妻がモデルではないか、と推理しています。この罪により、クリヴェッリは故郷ベネツィアを追われ二度と戻ることはなかったらしいです。

 実在の人物を描いた肖像画は、描かれた人物の来歴を知ることによってより味わい深くなります。〈デヴォンシャー侯爵夫人〉に描かれたジョージアナ・キャヴェンディッシュは、故ダイアナ妃の祖先。ジョージアナの美貌は多く男性を虜にしたが、唯一、歳の離れた夫だけは彼女に関心を持ちませんでした。使用人に産ませた子供をジョージアナに育てさせたり、妻妾を同居させたりと酷い夫だったが、ジョージアナも愛人の子どもを産み、その子は愛人の正妻の手によって育てられました。高貴で華やかな女性の肖像画の裏にこんなドロドロがあったのです。

 ドロドロといえばアンリ二世の愛妾、ディアーヌ・ド・ポワティエをモデルにしたともいわれる〈狩のディアナ〉にまつわるエピソードも相当なものです。20歳年下のアンリ王子の家庭教師に任命された31歳の美貌の未亡人は、アンリがカトリーヌ・ド・メディシスと政略結婚させられ、国王になって後もディアーヌに恋着し続けます。肖像画によってイメージが変わる人もいます。ミュージカルにもなり、ミュージアムもできている悲劇の皇妃エリザベートの姑であった〈ゾフィ大公妃〉の肖像画です。豊かな黒髪を巻き上げ、凛とした眼差しで見つめる若き日のゾフィは、バイエルン王の娘として生まれ、ハプスブルク家の二男フランツ・カールの元に嫁ぎます。そして不甲斐ない夫ではなく、息子、フランツ・ヨーゼフを王位につけることに成功します。その息子の嫁がエリザベートでした。確かに美しい妃だったかもしれないが、いつまでも実家を恋しがり、宮廷生活から逃げ回り、自分探しに没頭した線の細い嫁に、「ハプスブルグ家の唯一の男」とまで言われたゾフィが満足しなかったのは当然かもしれません。

 男性の部で目がとまったのは、アンソニー・ヴァン・ダイクの〈自画像〉。描かれているのはやんごとなき貴族の若者ですが、実際のヴァン・ダイクは市民階級出身でした。しかも画家は彼の時代においてでさえ、手仕事に従事する者として社会的階級は低いでした。実際に美丈夫であったというが、この自画像は自分の肖像画家としてのスキルを見せると同時に、自分自身を貴族に近付けるために「盛って」いるのではと中野先生は指摘しています。自分だけでなく描く相手を最大に美化することもいとわなかったというヴァン・ダイク。見栄えのよくない貴人には、背景や人物などの舞台装置でイメージアップしました。見た目や経歴を「盛る」という現象はいまに始まったことではありません。

一方で盛る必要などなかったのが「古今の作曲家のなかでおそらく容姿にもっとも恵まれた」と中野先生も太鼓判を押すフランツ・リストです。彼の28歳のときの肖像画はピアノ界のアイドルと呼ばれるにふさわしいです。高貴な女性たちと浮名を流しつつ独身を通し、娘の一人はリヒャルト・ヴァーグナーと結婚します。自身は演奏家、作曲家、指導者として人生を謳歌しました。肖像画に描かれたリストは繊細と不遜が極上の比率ででまじりあった美男です。リストの時代にはすでに写真も発明されており、彼の晩年の写真などはウェブでも見ることができます。肖像画の文化は絵画から写真にとってかわられたが、テクノロジーで簡単に「盛る」ことができる時代、写真が絵画化しているともいえます。

 カメラのある時代に描かれた肖像画のなかで、もっとも印象に残ったのは、本人と全然似ていない〈シャネル〉の絵です。シャネルと同い年の画家、マリー・ローランサンの筆によるものです。

逆境の生い立ちから自身の才覚でモード界の女王まで上り詰めたシャネルの写真は数多く残っています。強い意思と溢れる自信が全身から滲み出しています。特徴的なのはえらの張った輪郭と小鼻の張った顔、挑むような目です。完璧に髪をセットし、シャネルスーツのうえに何連ものネックレスを重ねづけしています。

ローランサン肖像画はそれらの特徴を反転して投影したかのようです。頬はこけ、鼻に至ってはほとんど描かれておらず、弱々しく物憂げな目つきです。シャネルスーツではなく、不思議なローブのようなもので体を覆っている。命の抜けたような鳥と犬が描き添えられている。どこからどう見ても社交界の大輪の花、シャネルを想起させる絵ではないです。シャネルが突き返したのも無理はない。

中野先生は、ローランサンの絵はシャネルに対するうっすらとした差別意識を反映していたのではないかと推察しています。送り返されたときに「しょせんオーヴェルニュの田舎娘だから」と悪態をついたそうです。この話を読み、ではなぜシャネルはローランサン肖像画を発注したのか、とも思いました。決して高貴な身分ではなかったローランサンに対するライバル心もあったのかもしれないです。


 一枚の肖像画には、本や映画をもってしても描ききれないくらいの膨大な情報が隠されていることを教えられます。

 内容紹介

 絵画のなかの美しいひとたちは、なぜ描かれることになったのか。その後、消失することなく愛でられた作品の数々。本書では、40の作品を中心に美貌の奥に潜む光と影を探る。

美が招くのは幸運か破滅か? 肖像の奥に潜む、秘められたドラマとは。
絵画のなかの美しいひとたちは、なぜ描かれることになったのか。その後、消失することなく愛でられた作品の数々。本書では、40の作品を中心に美貌の光と影に迫る。
――美を武器に底辺からのし上がった例もあれば、美ゆえに不幸を招いた例、ごく短い間しか美を保てなかった者や周囲を破滅させた者、肝心な相手には神通力のなかった美、本人は不要と思っている美、さまざまですが、どれも期待を裏切らないドラマを巻き起こしています。それらエピソードの数々を、どうか楽しんでいただけますよう。(「あとがき」より)

■キレイなだけじゃない24人の幸運と破滅のドラマ

ドイツ文学者である中野京子氏は、「怖い絵」や「名画の謎」などのシリーズに代表されるように、“読む”名画鑑賞で大人気。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識を駆使した斬新な絵画解説は、「なんとなく眺めるだけではない」絵画ブームを巻き起こしました。

 

その著者が選んだ本作のテーマは「絵画の中の美しいひとたち」。独自の審美眼で「キャンバスの上に永遠に刻み込まれた24人」を選抜し、その解説を月刊『PHPスペシャル』(PHP研究所)誌上で2016年1月号から2017年12月号まで連載しました。書籍化にあたっては大幅な加筆・修正をおこなって再編集。錚々たる画家たちが腕によりをかけて表現した「美」を、描かれた人物たちの、美貌ゆえの幸運や破滅といったドラマティックなエピソードとともに紹介しています。

著者紹介

中野 京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。作家、独文学者。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組に出演するなど幅広く活躍。2017年「怖い絵展」特別監修者。

著書に「怖い絵」シリーズ(角川文庫)、「名画の謎」シリーズ(文春文庫)、『ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)、『はじめてのルーヴル』(集英社文庫)、『別冊NHK100分de名著 シンデレラ』(NHK出版)、『ART GALLERY第5巻 ヌード』(集英社)など多数。

 

ブログ「花つむひとの部屋」

https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006



目次

第1章 古典のなかの美しいひと
プロセルピナ
アポロンとマルシュアス
ユーディトと侍女
第2章 憧れの貴人たち
侯爵夫人ブリジーダ・スピノラ=ドーリア
デヴォンシャー公爵夫人
狩りのディアナ
第3章 才能と容姿に恵まれた芸術家
シャネル
凸面鏡の自画像
バイロン
第4章 創作意欲をかきたてたミューズ
商人の妻のティータイム
ブージヴァルのダンス
モンテスキュー伯爵

参考図書

名画の謎 対決篇 (文春文庫)

名画の謎 対決篇 (文春文庫)

 

  

名画の謎 陰謀の歴史篇 (文春文庫)
 

 

 

 関連サイト

中野京子の「花つむひとの部屋」 - Gooブログ


7 日前 - 本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。【中野京子の「花つむひとの部屋」】
 
 
 

【本ナビ+1】ゾクゾクするような知の冒険 『美貌のひと』中野京子著 ...


https://www.sankei.com/life/news/181006/lif1810060030-n1.html 
2018/10/06 - 怖い絵」シリーズをはじめ、名画を西洋史や芸術に関する広い知見から、興味深く解説されるドイツ文学者、中野京子さんの新作。絵画に描かれ、広く知られることとなった、古典から現代までの美貌の男女24人の知られざるエピソードが堪能 ...
 
 
 

「怖い絵」中野京子氏が語る「絵をよむ面白さ」:日経ビジネス電子版


https://business.nikkei.com/atcl/book/15/101989/072300040/ 
2018/07/27 - 怖い絵』シリーズなどで知られる作家、中野京子氏。同シリーズをテーマにした展覧会では、展示方法の工夫などによって集客を伸ばし、大きな注目を集めた。このほど『美貌のひと』を発表した中野氏に「怖い絵」展ヒットの理由、絵の楽しみ方 ...