歴史と戦争
本書は、2019年5月で89歳を迎える昭和史研究の重鎮、半藤一利氏のこれまで上梓した80冊以上の著作からエッセンスを厳選し、まとめられたものです。半藤氏は、日本が二度と戦争に突き進むことのないよう、膨大な資料や実体験をもとに後世に残すべき重要な近現代観を提示してきました。本書にはその真髄が凝縮されています。半藤氏の著作を数多く読んでいる方々にとって著作集として、またインデックスのような使い方もできる1冊です。
本書では、幕末から始まり終戦直後まで戦争に明け暮れた日本の歴史に対して、様々な切り口からその本質に迫っていきます。そして、その中には考えさせられる指摘も沢山存在します。
例えば、前の戦争を一面ではアジア諸国を開放し、「大東亜共栄圏」を作る「聖戦」だったと言う様なことを声高に言う人もいます。しかし、昭和18年の御前会議では、「マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスは、大日本帝国の領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめる。・・・これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない」と言う決定をしています。植民地政策を進める決定です。
又、シベリア抑留については、スターリンが北海道の北半分の割譲を要求したのをトルーマンが断り、そこから最低50万人の極東とシベリアの気象条件のなかで労働可能な身体強健な捕虜を確保するように、極東軍司令官に極秘命令が出ていました。
それ以外にも、いろいろと考えさせられる指摘が多くあります。なぜ「敗戦」ではなく「終戦」なのか?と言うことも、言われてみれば不思議な点です。
最後に、半藤氏の含蓄のある言葉に耳を傾けてみましょう。
「わたくしを含めて戦時下に生をうけた日本人は誰もが一生をフィクションの中で生きてきたといえるのではなかろうか。万世一系の天皇は神であり、日本民族は世界一優秀であり、この国の使命は世界史を新しく書きかえることにあった。日本軍は無敵であり、天にまします神はかならず大日本帝国を救い給うのである。このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを積み重ねてみたところで、それを虚構とは考えられないのではなかったか。そんな日本をもう一度つくってはいけない、それが本書の結論、といまはそう考えている。そして、そんな時代をとにかく精一杯に生きてきた証が本書にはあると思っている。」(あとがきより抜粋)
内容紹介
日本人よ、驕ってはいけない。
真実の明治150年史
「明治維新などとカッコいい名前をつけても、あれはやっぱり暴力革命」
「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」
「日本人は歴史への責任を持たない民族」
戦争の歴史でもあった幕末・維新からの日本の歩みをたどり、
リーダーのあり方、人間の弱さを問う。
80冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。
幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」―八〇冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。
[著者からのメッセージ]
「この本には、戦時下に生をうけた、
東京は下町育ちの悪ガキだったわたくしが、
とにかく精一杯に生きてきた証しがあると思っている」
著者紹介
半藤 一利(はんどう・かずとし)
1930年、東京・向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。『漱石先生ぞな、もし』(正続、文春文庫 新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(文春文庫 山本七平賞)など著書多数。『昭和史1926‐1945』『昭和史 戦後篇 1945‐1989』(共に平凡社ライブラリー)で毎日出版文化賞特別賞、2015年、菊池寛賞受賞。
目次
第1章 幕末・維新・明治をながめて
江戸時代まであった、島国に生きる知恵
幕末期日本人の天皇観 ほか
第2章 大正・昭和前期を見つめて
石橋湛山、大正十年の社説
母と、大正十二年の関東大震災 ほか
第3章 戦争の時代を生きて
真珠湾攻撃大成功の報せを受けて
私の親父は“へん”だった ほか
第4章 戦後を歩んで
戦後がはじまったとき
遮蔽幕がとれて ほか
第5章 じっさい見たこと、聞いたこと
参考図書
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