科学的とは
どういう意味か
森 博嗣 幻冬舎新書
本書は、東日本大震災直後に、3日間、計12時間で執筆したものです。このような状況で、最も必要なことは著者のいう「科学的思考」です。起きてしまったことは仕方がない。しかし、これからの我々の未来を考えたとき、「科学的」がいかに大切か、ということを本書は示しています。
日本はどうしても人を「理系」と「文系」に仕分けしたがります。そして、そこに大きな意識の違いを作ろうとします。様々な意図のもとで、そういう構造に教育や社会がされているのです。そのことを、我々は理解しなくてはいけないです。
本書の著者が理系であり、いわゆる「理系ミステリ」の著者であることから、どうしてもその内容は理系からみたものになっています。おそらくは、文系の人たちによる様々な意見・反論もあるでしょう。しかし、文系。理系の枠にとらわれず、柔軟な姿勢を保つために、本書から得られることはたくさんあります。
震災の関連本のひとつというとらえ方もあるが、それとは関係なく、日本の偏向した構造を考えるため、そして年月とともにあの震災による被害を風化させないためにも、一読する価値があります。
内容紹介
科学的無知、思考停止ほど、危険なものはない!
「横行する非科学に騙されるな!」 元・N大学工学部助教授の理系作家による科学的思考法入門。
科学――誰もが知る言葉だが、それが何かを明確に答えられる人は少ない。しばしば「自然の猛威の前で人間は無力だ」という。これは油断への訓誡としては正しい。しかし自然の猛威から生命を守ることは可能だし、それができるのは科学や技術しかない。また「発展しすぎた科学が環境を破壊し、人間は真の幸せを見失った」ともいう。だが環境破壊の原因は科学でなく経済である。俗説や占い、オカルトなど非科学が横行し、理数離れが進む中、もはや科学は好き嫌いでは語れない。今、個人レベルの「身を守る力」としての科学的な知識や考え方とは何か。
著者紹介
森 博嗣(もり・ひろし)
1957年、愛知県生まれ。小説家、工学博士。国立N大学工学部建築学科で研究をする傍ら96年に『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後、次々と作品を発表し、人気作家として不動の地位を築く。新書判エッセイに『自分探しと楽しさについて』『小説家という職業』『創るセンス 工作の思考』『自由をつくる 自在に生きる』(以上、集英社新書)、『大学の話をしましょうか』『ミニチュア庭園鉄道』(以上、中公新書ラクレ)がある。
目次
まえがき
第1章 何故、科学から逃げようとするのか
いつから避けるようになったのか
向いていないと思い込む ほか
第2章 科学的というのはどういう方法か
科学と非科学;非科学的な習慣 ほか
第3章 科学的であるにはどうすれば良いのか
「割り切り」という単純化
科学は常に安全を求める ほか
第4章 科学とともにあるという認識の大切さ
ごく普通に接すれば良い
数字にもう少し目を留めてみよう ほか
あとがき
参考図書
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/03/15
- メディア: 新書
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