餓死した英霊たち
藤原 彰 ちくま学芸文庫
著者の 藤原彰氏(1922-2003年)は、陸軍士官学校(55期)を卒業し、中国戦線で中隊長として大陸打通作戦に参戦するなど中国大陸を転戦した経験があります。戦後は歴史家として現代史、特に昭和史やアジア太平洋戦争に関する多くの論文・著書を発表しています。門下生として多くの歴史家を育て、そのうち纐纈厚氏、吉田裕氏、林博史氏などは師・藤原氏の生涯の研究テーマである「日本はなぜ無謀な戦争に突入し、最終的には国を滅ぼすような敗北に至ったのか?」を実証的に深め、展開しています。
アジア太平洋戦争における日本人の戦没者数は310万人(軍人軍属230万人、外地での一般人戦没者30万人、内地での戦災死者50万人)とされます。この他に日本の侵略等によるアジア人の死者数は2000万人にも及ぶと言われています。この戦争の特徴は、日本軍の戦没者の過半数が非戦闘行為による死者、つまり飢死(うえじに)だったことです。
飢死には食物が全く摂れない結果の完全餓死と、栄養不足が原因の病気(マラリア、赤痢、デング熱等)による不完全餓死とがあります。日本軍の戦闘の特徴は、補給不足や現地で採取できる食べ物の不足による不完全餓死が多発したことです。この厳然たる事実に帝国陸海軍の本質がはっきりと出ています。
著者は防衛庁の公式記録『戦史叢書』や各作戦に従事した将兵の従軍記を引用し、また中国戦線については自らの経験を交えて、無謀な作戦の内容を実証的に詳述しています。対象は、ガダルカナル戦、ポートモレスビー攻略戦、ニューギニア作戦、インパール作戦、太平洋の孤島であるメレヨン島・ウェーク島置き去り、フィリピン戦における大量餓死、中国戦線における栄養失調症等、です。各作戦のあまりの悲惨さに言葉もないです。飢死した将兵の無念さ・悔しさはいかほどだったであろうか。これらの無謀な作戦の悲劇は、いつまでも国民の記憶に留めるべきです。
著者は以上の各作戦における乏しい記録を総合して、全体の戦没者230万人のうち60%強の140万人が餓死者(病死者、戦地栄養失調症による死者を含む)であると推定しています。当方もない数であり、本来は死ななくてもよかった人々です。この餓死者の数字だけでも、アジア太平洋戦争の無謀さ、愚かさが明らかです。
内容紹介
第二次大戦で死没した日本兵の大半は飢餓や栄養失調によるものだった。彼らのあまりに悲惨な最期を詳述し、その責任を問う告発の書。解説 一ノ瀬俊也
アジア太平洋戦争において死没した日本兵の大半は、いわゆる「名誉の戦死」ではなく、餓死や栄養失調に起因する病死であった―。戦死者よりも戦病死者のほうが多いこと、しかもそれが戦場全体にわたって発生していたことが日本軍の特質だと著者は指摘する。インパール作戦、ガダルカナル島の戦い、ポートモレスビー攻略戦、大陸打通作戦…、戦地に赴いた日本兵の多くは、無計画・無謀きわまりない作戦や兵站的な視点の根本的欠落によって食糧難にあえぎ、次々と斃れていった。緻密な考証に基づき、「英霊」たちのあまりにも悲惨な最期を明らかにするとともに、彼らを死へと追いやった責任を鋭く問う、告発の書。
著者紹介
藤原 彰(ふじわら・あきら)
1922‐2003年。東京に生まれる。陸軍士官学校卒業後、中国各地を転戦する。復員後、東京大学文学部史学科に入学し、1949年卒業。千葉大学文理学部、東京都立大学人文学部、東京大学教養学部などで講師をつとめ、一橋大学社会学部助教授を経て、1969年より同大学社会学部教授。1989年より女子栄養大学教授。専門は日本近現代史。
目次
はじめに
凡例
第1章 餓死の実態
ガダルカナル島の戦い
ポートモレスビー攻略戦
ニューギニアの第十八軍
インパール作戦
孤島の置きざり部隊
フィリピン戦での大量餓死
中国戦線の栄養失調症
戦没軍人の死因
第2章 何が大量餓死をもたらしたのか
補給無視の作戦計画
兵站軽視の作戦指導
作戦参謀の独善横暴
第3章 日本軍隊の特質
精神主義への過信
兵士の人権
兵站部門の軽視
幹部教育の偏向
降伏の禁止と玉砕の強制
むすび
解説 『餓死した英霊たち』(一ノ瀬俊也)
参考図書