読書案内

お薦めの本を紹介します

「夜と霧」の明け渡る日に

夜と霧の

明け渡る日に

未発表書簡、草稿、講演

ヴィクトール・E・フランクル

[訳]赤坂桃子 新教出版社

 

夜と霧の明け渡る日に

夜と霧の明け渡る日に

 

 

  本書は、フランクル氏の名著『夜と霧』を補完すべき続編です。原題は直訳すると「きみが自由になる日はやがて来る」といった意味で、本書の九頁に引用されている「ブーへンヴァルトの歌」に由来しています。

 解放後、フランクル氏はどうなったのか、という疑問を抱く人が多いことから、講演、草稿、書簡などからその後のフランクル氏を描き出すことを狙っています。 . 収容所から戻ってきた直後の状態をフランクル氏は、次のように表現しています。 「まるで自分が学校で居残り勉強をさせられている子どものような気がする、と言えばわかりやすいかもしれない。他の生徒はたちはもう帰ってしまったのに、私はまだ残っている。課題を終えないと、家に帰らせてもらえないのだ。」

1946年6月23日 . 戻ってきても、フランクル氏は苦悩する。 肉親で残ったのはたった一人、妹だけである。両親、妻は収容所で亡くした。フランクル氏は渡米のビザを取得していたが、自分だけのビザだったために、家族の元にあえて残っていた。

 . 収容所帰りを知っている人間と知らない人間の間に横たわる深い乖離。 . ただ、フランクル氏は決して後ろ向きには考えない。 想像を絶する経験をしたにもかかわらず、根底には人間を愛すると言う姿勢があるようで、悲観的な考えを感じさせない。

 印象に残った文章を紹介します。 「人生の意味を自分から問うのは誤っています。人生の意味問うことができるのは私たちではありません。問いを投げかけているのは人生で、私たちは問われている側なのです!」

この本の中には、ヴィクトール・E・フランクルが生きています。

 内容紹介(amazonより)

戦後の新たな人生を歩みだそうとするときフランクルは、何を感じ、考えていたのか。
いま明かされる名著誕生の背景。

強制収容所からの解放と帰郷という、フランクルの人生において最も重要な時期の伝記的な事実と、当時の中心思想の一端を、未公開書簡と文書を用いて再構成する。
名著『夜と霧』誕生の背後にあった個人史と時代史の二つの文脈が、初めて明確に交差する。
編者は、膨大なフランクル文献に最も詳しい、ウィーンのヴィクトール・フランクル研究所所長アレクサンダー・バティアーニ博士。

 

著者等紹介

ヴィクトール・E・フランクル(Viktor E. Frankl 1905-1997)

ウィーン大学の神経学および精神医学の教授で、ウィーン総合病院神経科科長も25年間にわたって務めた。フランクルが創始した「ロゴセラピー/実存分析」は、「心理療法の第三ウィーン学派」とも称される。ハーバード大学ならびにスタンフォード、ダラス、ピッツバーグの各大学で教鞭をとり、カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ合衆国国際大学のロゴセラピー講座の教授も務めた。フランクルの39冊の著作は、これまでに43か国語で出版されている。"...trotzdem Ja zum Leben sagen"〔邦訳名『夜と霧』〕の英語版はミリオンセラーとなり、「アメリカでもっとも人々に影響を与えた10冊の本」に選ばれた。


赤坂桃子(あかさか・ももこ)
翻訳家。上智大学文学部ドイツ文学科および慶應義塾大学文学部卒。訳書にハドン・クリングバーグ・ジュニア『人生があなたを待っている――〈夜と霧〉を越えて』(ヴィクトール・フランクル評伝)、イレーネ・ディーシェ『お父さんの手紙』、トム・ヒレンブラント『ドローンランド』、メヒティルト・ボルマン『希望のかたわれ』、『沈黙を破る者』ほか多数。

 

目次

はじめに

「時代の証人たち」―一九八五年六月

ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡―一九四五年~一九四七年

強制収容所から解放されて
きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ ほか
テキストおよび論文―一九四六年~一九四八年

精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
人生の意味と価値について ほか
記念講演―一九四九年~一九八八年

追悼
亡き者たちの名においても和解を ほか

ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事

使用文献

原注

訳者あとがき

 

参考図書

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧