〈わたし〉は
どこにあるのか
ガザニガ脳科学講義
マイケル・S・ガザ二ガ
- 作者: マイケル・S.ガザニガ,Michael S. Gazzaniga,藤井留美
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2014/08/28
- メディア: 単行本
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本書は、認知神経科学の父とも呼ばれる著者ガザニガがスコットランドによる伝統のあるギフォード講義で語った内容を書籍化したものです。
「わたしの意識は単独の、統一されたものである」という感覚は誰しも疑うことのないところですが、ガザニガはその感覚を脳神経科学の知識から自明のものではないと述べます。
高度に分業化され、何百万というプロセッサーがそれぞれ重要な決定を下す1300グラムの組織が脳であり、脳全体を統括するシステムは存在しない。右脳と左脳を繋ぐ脳梁が分断された分離脳症患者において、「右脳側と左脳側」で異なった人格が併存する多数の実例をガザニガは例に挙げます。
分離脳症患者の右視野と左視野に異なる二枚の絵を見せます。右視野、すなわち左半球が見るのはニワトリの足の絵。左視野、すなわち右半球が見るのは雪景色だ。続いて患者の左右の視野に一連の絵を見せて、前に見た絵と関連するものを選んでもらう。
すると左手は(雪景色に関連する)ショベルの絵を、右手はニワトリを指さした。続いてそれらの絵を選んだ理由を話してもらう。左半球にある発話中枢はこう答えます。「簡単なことですよ。ニワトリの足だからニワトリにしたんです。」左半球はニワトリの絵を見ていました。自分が知っていることなら説明はたやすいです。さらに、自分の左手がショベルの絵を指さしていることについては、「ニワトリ小屋の掃除にはショベルを使いますからね」と即答しました。つまり左脳は、なぜ左手がショベルを選んだのかわからないまま、無理やり理由をこしらえたのです。
こうしたガザニガが挙げる分離脳症患者の例を鑑みたとき、「わたしがわたしである」という感覚がどれだけ根拠のないものなのかを思い知らされます。「脳と精神」の関係を「ハードウェアとソフトウェア」の関係(前者により性能の限界が縛られた中で本質は後者に由来する)に近いものとする論なども非常に面白いです。知的好奇心がくすぐられます。
内容紹介(amazonより)
世界最高峰の学者だけが教壇に立てる「ギフォード講義」をもとにまとめられた本書で著者は、脳科学の足跡を辿りつつ、精神と脳の関係、自由意志と決定論、社会性と責任、法廷で使用されはじめた脳科学の成果の実態などを、やさしく語りかけるように論じる。行き過ぎた科学偏重主義に警鐘を鳴らし、人間の人間らしさを讃える一冊。
私たちは責任ある動作主だ―とはいえ、誰かが脳のなかにいて、判断を下し、レバーを引いていると感じることがある。いったい“わたし”の統括責任者は誰なのか?それは脳のなかのどこにあるのか?英国スコットランドの伝統ある一般公開講座「ギフォード講義」で語られた内容をもとにまとめられた、認知神経科学の父とも言われるガザニガの集大成。
著者等紹介
マイケル・S・ガザニガ
1939年生まれの神経科学者。カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授(心理学)。米国認知神経科学研究所の所長などを務める、認知神経科学の世界的指導者。邦訳された著書に『人間らしさとはなにか?』『脳のなかの倫理』『社会的脳』ほか。
藤井留美
翻訳家。訳書にカーター『新・脳と心の地形図』『脳と意識の地形図』『話を聞かない男、地図を読めない女』ほか多数。
目次
第1章 私たちのありよう
第2章 脳は並列分散処理
第3章 インタープリター・モジュール
第4章 自由意志という概念を捨てる
第5章 ソーシャルマインド
第6章 私たちが法律だ
第7章 あとがきにかえて
参考図書
- 作者: マイケル・S.ガザニガ,Michael S. Gazzaniga,柴田裕之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/03/07
- メディア: 文庫
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- 作者: マイケル・S.ガザニガ,Michael S. Gazzaniga,柴田裕之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/03/07
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