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村上春樹の『職業としての小説家』ー自伝的エッセイー

職業としての

小説家

  村上春樹 新潮文庫

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

 本書は、“あとがき”によると、五、六年前から書き溜めていた、自分が小説を書くことについて、また、こうして小説家として小説を書き続けている状況について、まとめて何か語っておきたいという気持ちから、少しずつ断片的に、テーマ別に書いていた文章から出来上がっています。

小説を書くことに関する村上春樹さんの現在の見解の集大成みたいなものとして読んでいただきたいということです。確かに本書を読むと、村上春樹さんの小説家としてどうありたいのかが見えてきます。それはシンプルに言ってしまえば、自分に正直でありたい、そして読者に正直でありたいということでしょう。本当に何も飾ることなく率直に書いていると思います。
村上春樹さんは、世界で五十を超える言語に訳されて広く読まれています。現代日本の代表作家です。それは、村上春樹さん自身による不断の努力によるところが大きいからです。自ら海外に進出して、翻訳家を探して、自分を売って、そうして自分の世界を広げていった。その努力が実って、今日の村上春樹の確固たる地位があります。これだけ多くの人々に受け入れられてきたのは、おそらく村上春樹さんが「物語」の真の意味をよく理解しているからでしょう。
人類が「物語」を必要としていることは河合隼雄さんの著書からもわかりますが、お二人はその「物語」で深く繋がっています。その「物語」を正しく機能するように導き、変革する世界の中で人々の心が壊れないよう補完する役割を、現代の作家は担っているのでしょう。村上春樹さんは、おそらくこれからもその役割を十分果たしてくれると思います。

 内容紹介(新潮社より)

「村上春樹」は小説家としてどう歩んで来たか――作家デビューから現在までの軌跡、長編小説の書き方や文章を書き続ける姿勢などを、著者自身が豊富な具体例とエピソードを交えて語り尽くす。文学賞について、オリジナリティーとは何か、学校について、海外で翻訳されること、河合隼雄氏との出会い……読者の心の壁に新しい窓を開け、新鮮な空気を吹き込んできた作家の稀有な一冊。

 

書評

個人的な見解を正直に述べさせていただければ

中島京子

本書は、村上春樹がデビュー前後の逸話や創作の方法、「文学賞」への思いなどを綴ったもので、発表時は、あの村上春樹がここまで書いた、みたいな話題になったりした。
 あとがきを読んでいて興味深かったのは、このエッセイが、雑誌の依頼で書かれたものではない、という点だ。「私的講演録みたいなものの手持ちもあるんだけど」連載しないかと、ご本人が持ち掛けたという。「講演」はふつう「公的」なものなので、「私的」となると、ご自宅で奥様と猫に「講演」しているような、ユーモラスなニュアンスが漂う。
 そういう目でみるとちょっとおもしろいのが文体で、見事に「です・ます」の講演口調で書かれている。ふだんのエッセイのように「だ・である」で書こうとしたが、うまくいかなかったのだそうだ。詩を書けない小説家が、自分の作品に詩人を登場させ、その詩人作という形にすると書けることがある。随筆文体では書けなかったものが、講演口調にしたら書けてしまった、というエピソードは、それを思い起こさせる。著者が頭の中に「作家村上春樹」を立ち上げて講演シーンを作り、それを書き起こしたようなプロセスが、この本にはあったのではないかと想像させる。
 そう思って読むと、この文体が案外クセになる。「正直に申しまして、僕としては」とか「個人的な見解を正直に述べさせていただければ」とか「あなたが(中略)希望しておられるなら」とか。これを聴衆なしでパソコンに打ち込んでいる作家を想像するとかなり楽しいが、なぜこの文体が選ばれたのだろうか。
 そんなことを考えたのには理由がある。もはや伝説のように語られるジャズバー経営者時代の話や、「処女作は英語で書かれた」というエピソード、「群像」新人賞の最終選考に残ったという通知を受けた日の特別な思い出などが、作家本人によって綴られるのは、ファンには垂涎もののはずだし、たいへん意志的な一人の作家の生き方を知ることだけでも、じゅうぶん魅力的な読み物に違いない。でも、キャリアは半分以下、年齢も下、発行部数は桁がいくつも下ではあれ、小説を生業にしている者としては、つい、何か実務に役立つアドバイスがないかという下心で読むわけで、いちばん心に留まったのは、文体に関してだったのだ。
 まず「処女作は英語」のエピソードからして、これは作家が作品にふさわしい文体を見つける話だ。誰もが最初は英語で書いてから日本語に翻訳し直せるわけではないし、そんなことをする必要もない。でも、一度書き上げたものを読んで「やれやれ、これじゃどうしようもないな」と思い、書きたいものと文体が合ってないと気づく才能は、小説家になるためのもっとも重要な資質ではないかと思う。
 具体的に文体について書いてあるのは「第九回 どんな人物を登場させようか?」という章。ここでは主に、人称に関する考察がある。著者は「僕」という一人称でしか書けない世界からスタートして、「僕」だけでは書きえない世界を描き出すために苦悶する。そして二十年かかって三人称にたどり着き、「小説世界の幅を広げることができた」と言う。でも、最初から三人称で書く作家はたくさんいる。村上春樹が遅く、その他の作家が早いわけではない。村上春樹の作品は「僕」という一人称なしには成立しえなかったのだ。著者はしばしば作品を作る過程を「心の闇の底に下降していく」と表現する。村上作品の登場人物は、三人称で書かれる場合であっても、絶対的な他者ではなくて、「自己を他者に投影」したものなのだ。自分の心の奥底(それ自体が集合的無意識と結びつくものであっても)を徹底して描くと決めた作家が最初に獲得した人称が「僕」であり、心の奥底で手を広げるようにして、村上春樹流の三人称をつかみ取っていくプロセスは興味深かった。ちなみに、女の作家にとって、「僕」は(少年を描くとき以外はたぶん)使い勝手のいい人称ではないし、真似しても初期の村上作品のような効果は出ない。
 こんな話は小説を書かない人にはたいしておもしろくないかもしれないが、小説家は書くべき内容を書き表すべき文体を見つけないと書けない。それを獲得するのはそんなに簡単なことでもない。ということが書かれている事実は、私には慰めとなった。
 そして、本書の講演口調は、小説作法を他人に公開する方法として、意図的にか直感でかはわからないけれども、作家が正しく選んだものなのに違いないと思ったのだった。

 

(なかじま・きょうこ 作家)
波 2016年10月号より

 引用元:新潮社

 

著者紹介

 

村上春樹(むらかみ・はるき)

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、2016年ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞。

 

目次

第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける——長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語のあるところ――河合隼雄先生の思い出

あとがき

 

参考図書

 

みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る―

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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

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村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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