ゲッペルスと私ーナチ宣伝秘書の独白
ブルンヒルデ・ボムゼル、トーレ・D.ハンゼン 紀伊国屋書店
- 作者: ブルンヒルデ・ポムゼル,トーレ・D.ハンゼン,石田勇治,森内薫,赤坂桃子
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2018/06/21
- メディア: 単行本
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この本は、ブルンヒルデ・ボムゼルが回想したドキュメント映画「ゲッペルスと私」が基になっています。そして、著名なジャーナリストのトーレ・D・ハンセンが後半でボムゼルの回想に解説をしてます。
ボムゼルの回想は、1914年の子供の頃の第一次世界大戦勃発の記憶から始まり、第二次世界大戦の終戦時にソ連軍に捕えられ、特別収容所の抑留生活、解放後のドイツでの生活について回想してます。
ハンセンが解説で述べている当時のドイツと現代の欧米社会の実情を比較して、ボムゼルの回想より導かれる教訓は、読み応えが有ります。
現代の世界の強権的な政治体制の台頭、排他的な発言をする人達が支持されている今こそ、ボムゼルの証言から学ぶこがあるとおもいます。
内容紹介
ハンナ・アーレントのいう"悪の凡庸さ"と"無思想性"は、
アイヒマンよりもむしろポムゼルにこそあてはまる――
「なにも知らなかった。私に罪はない」
ヒトラーの右腕としてナチ体制を牽引したヨーゼフ・ゲッベルスの103歳の元秘書が、69年の時をへて当時を回想する。
ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼル。ヒトラーの権力掌握からまもなくナチ党員となったが、それは国営放送局での職を得るための手段にすぎなかった。ポムゼルは、「政治には無関心だった」と語り、ナチスの所業への関与を否定し、一貫して「私はなにも知らなかった」と主張する。
解説を執筆したジャーナリストは、このような一般市民の無関心にこそ危うさがあると、ナショナリズムとポピュリズムが台頭する現代社会へ警鐘を鳴らす。
子ども時代から始まるポムゼルの回想は、30時間におよぶインタビューをもとに書き起こされ、全体主義下のドイツを生きた人々の姿を浮かびあがらせる。
書籍版では、映画では語られなかった事実も明かされている。
20か国以上で刊行が決まっている注目のノンフィクション
「ヒトラーの時代がまたどこかで、かつてとまったく同じように繰り返されることはないだろう。だが民主主義体制の下でも、主権者である国民が、ポムゼルのように世の中の動きに無頓着で、権力の動きに目を向けず、自分の仕事や出世、身の回りのことばかりに気をとられていれば、為政者は易々と恣意的な政治、自分本位の政治を行うだろう。それに批判的精神を失ったメディアが追随すれば、民主主義はチェックとバランスの機能を失い、果てしなく劣化していく。これは、他でもない現在の日本で起きていることである」
東京大学大学院教授 石田勇治
ブルンヒルデ・ポムゼル
1911年生まれ。1933年にナチ党員になり、ベルリン国営放送で秘書として働く。1942年に国民啓蒙宣伝省に移り、ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書の1人として終戦までの3年間勤務する。総統地下豪の隣にある宣伝省の防空豪で終戦を迎えてソ連軍に捕らえられ、その後5年間、複数の特別収容所に抑留。解放後はドイツ公共放送連盟ARDで60歳まで勤務。2017年1月27日国際ホローコスト記念日に106歳で死去。
トーレ・D・ハンゼン
政治学者、社会学者。経済ジャーナリストおよびコミュニケーション・コンサルタントとしても活動し、成功をおさめている。国際政治および諜報機関の専門家でもある。
目次
まえがき(トーレ・D・ハンセン)
「私たちは政治に無関係だった」 1930年代ベルリンでの青春時代
「ヒトラーはともかく、新しかった」国営放送局へ
「少しだけエリートな世界」国民啓蒙宣伝省に入る
「破滅まで、忠誠を」宣伝省最後の日々
「私たちは何も知らなかった」抑留と、新たな出発
「私たちに罪はない」103歳の総括
ゲッペルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるのか(トーレ・D・ハンセン)
「ゲッペルスと私」刊行によせて(石田勇治)