読書案内

お薦めの本を紹介します

人類の進化が病を生んだ

人類の進化が

  病を生んだ

      BODY

      BY DARWIN

HOW  EVOLUTION  SHAPES

OUR HEALTH AND

TRANSFORMS MEDICINE

ジェレミー・テイラー

[訳] 小谷野 昭子 河出書房新社

 

人類の進化が病を生んだ

人類の進化が病を生んだ

 

 

 本書の考え方は「人体の機構や病気のメカニズムは、進化という視点を用いないと分からない」というものです。
本書で何度も出てくるのは免疫や細菌などだが、これらは身体という「世界」の中で進化の競争を繰り広げているとさえいえるのであり、そうした見方からは病気が全く新しく見えてきます。

最初に扱うのは自己免疫疾患とアレルギーです。社会が清潔になり寄生虫などが消えたことによってアレルギーが深刻化していったという、寄生虫なき病などと同じ主張がコンパクトに展開されています。
また、出産時に母親の膣内の善玉の菌類を新生児が受け取ることで、その他の悪性の菌が赤ん坊の体の中で増えることを防ぐという共依存関係が存在しており、特にビフィズス菌は生まれたばかりにおいては非常に重要だといいます(帝王切開をするとこのメカニズムが働きにくくなる)。
続けて、腸内細菌が自閉症から鬱病までの脳に関する症状において重要な役割を果たしていることを示唆する研究をいろいろと紹介しています。
この辺りは、進んで知りたい人は、本書中でも言及がある失われてゆく、我々の内なる細菌などを読むといいです。

第二章は妊娠と出産であり、ここで「胎児と母親の対立」という、なかなかセンセーショナルな視点が導入されます。
胎児は母親からなるべく多くのエネルギーやその他資源の投入を望む一方で、母親は有限の資源をよい子孫に多く割り当てるために出来の悪い胎児はフィルターしようとします。
導入の問いとして、なぜ父親の遺伝子が母親の体内に侵入しているのに、免疫はそれを攻撃しないのか、という、なるほどもっともな疑問を挙げます。
これについて、まず女性の免疫系は繰り返しパートナーの射精を受けることでそれを取り込んで次第に覚えていく(そのため性交関係構築後すぐの妊娠では子癇前症が起きやすい)という、免疫系の寛容化が起きているのだといいます。
しかしその事実は、母親が能動的に胚を選択する側面を示唆する。実際、大半の胚は遺伝子異常を抱えているが、そのような胚は着床させずに母体も気づかないうちに初期流産させてしまうという。このメカニズムがうまく働かない女性の場合、異常胚のフィルタリングが出来ていないので、妊娠は容易にするのに繰り返し流産するという状況に陥ることになります。
母親と胎児の綱引きは出産後にも見られ、例えばアンジェルマン症候群では乳離れをなかなかしない(胎児有利)の一方、プラダー・ウィリ症候群では乳の吸引力が弱い(母親有利)です。

第三章は腰痛がテーマである。
直立二足歩行が身体に大きな負荷をかけているという話はよく聞きますが、著者はいろいろ検討したうえで、大きな腰椎と柔らかい椎間板を持つ人間の脊椎はかなり良くできており、問題の多くは四足歩行でも生じるものだという。
それでも生じる難点は、椎間板に修復機能が乏しいことと、柔軟性低下後の(圧縮ではなく)曲げに対するダメージである。
後半ではリーバーマン人体六〇〇万年史──科学が明かす進化・健康・疾病(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の、人類の走りの話が紹介されている。

第四章は目である。
眼の反転網膜や盲点の存在は、多くの進化関係の著作で「つぎはぎの進化による出来損ない」の例として多く取り上げられているが、これに著者は異を唱えます。
最大のメリットとして、レンズと網膜の間に視覚処理を配置することによる省スペース性を挙げています。
特に情報の前処理を行う鳥類や哺乳類ではそのメリットは顕著です(反転網膜ではないイカやタコは前処理をせず直接脳に全情報を送っています)。
後半では、永楽・笹井の「DIYの眼を試験管中で実現させる」という話(目は自己組織化的に育っていく)、そこから派生する眼の病気の治療可能性に触れられています。

第五章は癌である。
癌の歴史とその理解については既にいろいろな本があります(例えばがん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF))が、本書は「癌細胞同士の淘汰と競争」という視点を強調すします。
癌細胞(筆者は染色体の構造異常と不安定化を要因として重視する)は決して一様ではなく非常に多様であり、癌細胞同士が自身の癌細胞を広げるように切磋琢磨しているのです。
局所的な競争に破れそうなものが、決死のリスクを負って別の部位への移動を試みます。ほとんどの場合に失敗しますが、稀に成功するとがんは転移してしまいます。
抗生物質への耐性菌はよく知られているが、上の視点を持てば、がん治療についても同様の問題が生じうると著者は言います。

第六章は心臓である。
心臓は血液を送り出すが、では心臓自身はどうやって血液(酸素)を受け取るか、という問いを投げ、特に心臓に血液供給する冠動脈は終点であり、さらに心臓が激しく運動しているときに酸素を受け取れないという致命的な問題を抱えていることを紹介します。
爬虫類などでは動脈と静脈の分離が不十分なので、静脈側の心臓も混ざった動脈側からダイレクトに血液を受け取れたのに対し、鳥類と哺乳類は心室の分離が完全なのでこれは働かない(心臓や酸素と動物の進化は生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学に詳しい)。
冠動脈を詰まらせるのは致命的な症状を引き起こすが、これは高圧の血液循環システムによる欠陥損傷からの修復機構、血小板を哺乳類が獲得したことによる副作用ともいえます。この観点から免疫と炎症に着目することの重要性が指摘されています。

最後はアルツハイマーである。

アミロイド仮説を批判したのち、再びここでも脳内の炎症と免疫系を強調します。脳内の炎症によってニューロンが傷つけられるというもので、アミロイドは最終的な副産物として生まれるものとここでは位置付けられています。このあたりはかなり研究途上という感じだがなかなか興味深い仮説です。

全体として、進化医学の先駆である病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解に沿いつつ、テーマ別に最新の話題を拾っていて、一般向けにも非常に読みやすい著作だと思う。
進化という視点から医学や人体を見つめなおす好著です。

 内容紹介

なぜ病気はなくならないのか?人類がこれほど病気に苦しめられるのはなぜなのか?アレルギー、不妊症、腰痛、癌、心臓病など、病気は進化の結果もたらされることを明らかにする、「進化医学」の最前線!

 

訳者あとがき

ランドルフ・M・ネシーとジョージ・C・ウィリアムズ著のWhy We Get Sick は、ダーウィン医学(進化医学)の概念をはじめて一般向けに紹介した本として一九九四年にアメリカで出版された。日本でも、長谷川眞理子長谷川寿一、青木千里の翻訳により病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解として2001年に新曜社から出され、ロングセラーとなっている。

ネシーとウィリアムズが開いた扉は人々の関心を呼び、進化医学をテーマにしたポピュラーサイエンス書は一つのサブジャンルになるほど成長した。それ自体は喜ばしいことではあるのだが、一般受けを狙うあまり、人体がいかにできそこないの産物であるかを面白おかしく強調したり、現代病は人類進化と生活習慣のミスマッチから生じているのだから狩猟採集時代のような暮らしに回帰すべきだと意見したりするような、進化医学による見方を単に消費するだけの本が増えているのもまた事実だ。

そんななか、病気を理解し治療法を見つけるためには既存の視野を少し広げて進化の観点からも考えてみることが大事だという、ネシーとウィリアムズの本来の問題提起に立ち返り、その後の四半世紀に新たに見出された医学知見や先駆的な治療法を紹介しようと試みたのがこの本だ。本書には、そうした治療法のいわば実験台となることを自ら志願した患者たちの話も織り込まれている。

進化の観点で考えるとは、具体的にはどういうことだろうか。たとえば、抗生物質の効かない耐性菌の出現については、いまでは多くの人が進化の観点で理解するようになった。単細胞生物である細菌は自身の遺伝子を絶えず変異させていて、たまたま抗生物質に抵抗できる変異を得た個体は生き延び、勢力を広げる。では、癌についてはどうだろう? 私たちは癌という病気を、なんとなく、一つの悪い細胞が二倍、四倍、八倍と同じコピーを増やしていくという単純なイメージだけでとらえていないだろうか。ここで、癌についても進化の観点で考えてみよう。癌細胞も細菌と同じように、自身の遺伝子を絶えず変異させてその性質を変え、あなたの体という生態系の中で生き延び、勢力を広げようと奮闘している。あなたが癌を抗癌剤でやっつけようとすればするほど、癌のほうは自身の遺伝子を引っかき回して変異の試行錯誤をする。抗癌剤でいったん治ったように見えてもその後に再発したという場合、その患者の癌細胞は変異の当たりくじを引いたと考えるべきなのである。

本書によれば、癌の専門医でも癌細胞が抗癌剤に耐性をつけるプロセスを理解している人は少ないとのことだが、ましてや私たち患者の側はほとんど知らない。だが、癌の進行は変異のくじ引きしだいだということを知っていれば、特定の食べ物や高価な水で癌が治るとうたう民間療法商法に惑わされずにすむ。進化医学の考え方は私たちも身につけておいて損はない。

著者のジェレミー・テイラーは、イギリス BBCテレビでシニア・プロデューサとディレクターを務め、BBCの科学番組『ホライズン』のシリーズを担当した。とくにリチャード・ドーキンスと共同で制作した『盲目の時計職人』のドキュメンタリー作品(1987年)は大きな評価を得た。ただし、その作品の中で二人が自信満々につくりあげた「眼の進化を説明するアニメーション」が、実際には科学的な証明にはなっていなかったとあとで気づいたことについては、本書の第4章で述べられているとおりである。  

ジェレミー・テイラーはその後フリーランスになり、ディスカバリー・チャンネル、ラーニング・チャンネル、チャンネル4などの科学番組を制作した。後年は、サイエンス・ライターとして本書を含む二点の書籍を書き上げ、またランドルフ・M・ネシーらを中心とする進化医学公衆衛生国際協会(TheInternational Society for Evolution, Medicine, and Public Health)の出版局でアソシエイト・エディターを務めた。だが、2017年七7月、膵臓癌でこの世を去った。70歳だったという。いまはただ、故人の冥福を祈るのみである。

                                  2017年11月

著者等紹介

ジェレミー・テイラー(Jeremy Taylor)

BBCテレビでシニア・プロデューサーやディレクターを務めディスカバリー・チャンネルやラーニング・チャンネルの科学番組も数多く制作してきた。著書に『われらはチンパンジーにあらず』がある。2017年死去。

小谷野 昭子(こやの・あきこ)
医学翻訳者。専門商社勤務を経て翻訳業に。臨床用診断・治療ガイドライン、米国医師会誌、ヘルスデーニュース等の翻訳に携わる。

目次

はじめに

第1章 自己免疫疾患とアレルギー
第2章 不妊
第3章 腰痛
第4章 眼の病気
第5章 癌
第6章 心臓病

第7章 アルツハイマー

謝辞

訳者あとがき

参考文献

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参考図書

 

 

食と健康の一億年史

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