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世界通史の金字塔的古典2

        世界史(下)

             W・H・マクニール

[訳]増田 義郎 / 佐々木 昭夫 中公文庫

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

 

 

  下巻は西暦1500以降くらいの歴史が対象であり、2001年というかなり最近まで描かれています。近代に近づくほど社会が複雑になってくるため、下巻は上巻よりつかみにくいです。全体として非常に濃密であり、濃密な歴史の海を粛々と進みます。歴史の流れを学ぶための本というよりは、マクニール史観により歴史を解釈する本という方があたっているかもしれないです。オセアニアやアフリカなど、従来、スポットライトがあたらなかった地域についても触れられており、その意味では真の「世界史」といえるかもしれないです。西欧的視点からだけではなく、いろいろな地域のいろいろな時代を静かにじっくりと描いています。
 この本がおもしろいのは、単に知識がつくということだけではなく、「なぜかくあったのか、なぜかくあるのか、おそらくどうなっていたのか」等についてのマクニールの考え方に唸らされるらかもしれないからです。
 
 15世紀にヨーロッパの船は各種技術革新で重砲の反動に耐えられるようになり、海戦の戦法が変わった。ヨーロッパ勢の海上優位が確立します。
 ヨーロッパ人の海洋航海により疫病の伝染範囲が広がります。ヨーロッパ人は本国の人口を減らさず、むしろ、人口増加し、一方、南北アメリカでは伝染病により原住民の抵抗意欲をくじいてしまいました。ヨーロッパは、世界中の地域から集められた技術と知識を取り入れて更に豊かになります。
 キプチャク汗国の統治下にあったロシア人国土内では、ハンは税金徴収をモスクワ大公に委ねていたが、イヴァン3世(モスクワ大公)は主君への忠誠を捨てて、ツァーを称します。騎馬の射手ではもはや十分に武装した歩兵に勝つことができなくなっており、イヴァン4世雷帝はどんどん勢力を拡大していきます。一方、タタール人の危険が去って行くと、(モスクワに)税金を払いたくない若者たちはウクライナなどに逃げていきます。こうした人口流出がロシア人居住地を広げていきます。しかし、モスクワ公国は、やがてポーランド軍にモスクワを占領されてしまいます。外国の傀儡政権に対する反発が広がり、ポーランドは撤退します。このとき、モスクワ主教は息子のミハイル・ロマノフをツァーとして宣言します。そして、ロマノフ朝が成立します。
 南北アメリカに西欧各国は植民地をもっていたが、オランダはポルトガルに忠誠を誓った現地の反乱者たちにブラジルを奪われ、ニュー・アムステルダムをイギリスに奪われることで大陸から締め出されます。イギリスは、ニュー・アムステルダムをニューヨークに改称します。
 ナポレオンは皇帝になったあとでも憲法を制定するたびに国民投票を行い、国民による支持を証明します。ナポレオンはフランスの法律を再編成し、革命の唱導者たちが普遍的原則と宣言していたものを法的慣行から成文に移し替えました。契約の自由、離婚の自由、法の前での平等などです。ナポレオンの軍隊の支配地域にナポレオン法典は影響を与え、ナポレオン法典はこれらの国々の法律改革の規範となります。日常慣習や社会の法的関係が簡潔なものに変わると、旧体制のもとで行われていた煩雑な慣習や特権を回復するのは実際上不可能になりました。ナポレオンは多くの点で真の革命の継承者であったともいえます。
 満州人、ムガール人、オスマントルコ人たちは、帝国に住む国民の大多数にとっては異民族であるため、支配者にとっては国民の民族的、文化的な同胞感情に訴えるのは危険でした。しかしながら、日本やアフガニスタンのように支配層と被支配層が同一民族であるところでは西欧の圧力に効果的に抵抗できました。
 中国では、社会秩序とまともな政府が全面崩壊してからはじめて中国人たちは外国の技術や思想に大きな注意を払うようになりました。日本は、政治指導者たちが自分たちの力で日本人の生活のあり方をひとつひとつ変えて行きました。日本人をうまく団結させる新しい政治意識や価値をそのまえに用意していました。伝統的風習の破壊と無視という困難をのりこえられたのは、国民が伝統的に天皇に対して抱いていた忠誠心にひたすら訴えかけ、天皇を神とみなす神道ナショナリズム的な側面を強調したからでした。
 オーストラリアは海岸のほとんどが広大なサンゴ礁にとりかこまれていたため船舶が接岸しにくく、何世紀ものあいだ放っておかれました。18世紀後半からイギリス海軍がオーストラリア海岸の測量をはじめ、囚人を送り込むようになりました。母国の刑務所の負担を軽くするという意味もありました。そのうち、イギリス諸島の貧困と人口過剰を抑制する政策の一環としてニュージーランドも移住先に選ばれました。
 アフリカは部族や集落ごとに大きな身体的変異がみられる。1850年以前、アフリカの共同体のほとんどは外来者から隔絶され、文化的にも生物学的にも影響を受けにくいでした。
 イギリス人は一般的には間接統治を好みます。インドもアフリカもこのパターンです。フランス人は直接統治を好みます。フランスは現地の役人に、植民地中央政府の指示通り政務を行わせました。現地の役人は白人の場合もあるし黒人の場合もありました。役人が任命される基準は肌の色ではなく教育と技量でした。フランスの植民政策の究極の目標は文化の同化であり、フランス式の学校で教育を受けたアフリカ人は、理屈の上では黒い肌をもったフランス人ということになります。
 第一次世界大戦のとき、ヨーロッパは二つの対立陣営に分かれる同盟国体制にあり、どちらも柔軟性を欠いていました。勝手に相手に譲歩すると同盟国を疎んずることになり、そうなればいずれ対決が起こった時に同盟国の協力が得られなくなるおそれがありました。ドイツがオーストリアを支援してセルビアに対抗したのは、三国協商の包囲に対抗するために頼れる同盟国がオーストリア帝国しかなかったからでした。また、各国の動員計画が拙劣で融通がきかなかったことも大戦の一因。動員計画が忠実に実行されると計画の修正は高くつくことになります。あらゆる要素が緊密に絡み合っているためにそれを中途でやめると逆に混乱を招きかねないのです。
 各国に成立した共産主義政権は、ロシア人と協力することに熱意を示しませんでした。スターリンがユーゴを支配下に置こうとすると逆に公然とユーゴは反旗を翻しました。共産主義革命も地域のナショナリズムと人種的文化的プライドを払拭できませんでした。
 毛沢東たちは、自分たちの政治的成功のあとに発生した官僚腐敗を嫌悪し、文化大革命によって革命精神に火をつけ、必要であれば政権にしがみつくものたちを攻撃しようとしました。
 ソ連の中央計画経済では、工場が割当数量をきちんと生産することを求める。それゆえ、量のために質が犠牲にされるのがあたりまえになりました。

 

日本に関する表記が、印象に残りました。西欧の優勢が世界を圧倒した19世紀、なぜ日本だけが別の道を歩めたのか、マクニールはこんな風に説明しています。

「この国の将来にとって、より重要だったのは、一握りの日本の知識人たちが、大きな障害を克服して、中国の学問とともに西欧の学問をも学ぼうとした事実である…ほかにも、陽明学と愛国的な思想にもとづいて、徳川体制に反対した日本人もいた…ある者はまた、朱子学を放棄して古代神道を選び、そのいまだに漠然とした神話と祭式の集合体を、より体系的で厳粛な教義に練り上げようと、敬虔な努力を傾けた。こうした知的異端のいくつもの潮流について本当に重要な点は、それらの流れが合流し、たがいに支えあう傾向にあったという事実である…いわゆる外様大名たちがかつて自分の祖先が徳川家の臣下ではなく競争相手だったことを記憶しているような地方では、このような理念は権力側の保護を受けた」
「ヨーロッパ文明との接触がもたらした機会を利用するうえで、これほどうまく受け入れの用意ができていたアジアの民族はほかになかった。徳川時代の日本に広く見られた対立する理念間の緊張や文化の二元性を、他の民族はかつて一度も経験していなかったからである」下巻P193~195。

マクニールがもっとも影響を受けた研究者は、人類学者のロバート・レッドフィールドだそうです。

 内容紹介

世界の文明の流れをコンパクトにわかりやすくまとめた名著。
人類の歴史を一貫した視座から眺め、その背景と脈絡を知ることで、歴史のダイナミズムを描き出す。
西欧文明の興隆と変貌から、地球規模でのコスモポリタニズムまでを概説する。

新しい歴史的出来事を加え改訂された最新版の完訳。地図・写真多数収録。

著者等紹介

ウィリアム・H・マクニール

1917年カナダ・ヴァンクーヴァ生まれ。シカゴ大学歴史学を学び、1947年コーネル大学で博士号取得、同年以来、長い間シカゴ大学歴史学を教えた。現在では引退し、コネティカット州のコールブルック在住。シカゴ大学名誉教授。
増田義郎[ますだ・よしお]
1928年、東京に生まれる。1950年、東京大学文学部卒業。専攻は文化人類学、イベリア及びイベロアメリカ文化史。
佐々木昭夫[ささき・あきお]
1933年、東京生まれ。東京大学文学部、同大学院(比較文学比較文化)に学ぶ。東北大学名誉教授。

目次

関連図版……ヨーロッパの美術と社会/産業時代における建築 

第III部 西欧の優勢 
18 地理上の大発見とその世界的影響 
19 ヨーロッパの自己変革 1500 ― 1648年 
20 ヨーロッパの外縁部 ――一 ロシアと南北アメリカ 1500 ― 1648年 
21 イスラムの領域 ―― それに従属するヒンズー教およびキリスト教の社会 1500 ― 1700年 
22 東アジア 1500 ― 1700年 
23 ヨーロッパのアンシャン・レジーム 1648 ― 1789年 
24 南北アメリカとロシア 1648 ― 1789年 
25 ヨーロッパ旧体制へのアジアの反応 1700 ― 1850年 
第IV部 地球規模でのコスモポリタニズムのはじまり 
26 産業革命および民主革命による西欧文明の変貌 1789 ―1914年 
27 産業主義と民主主義に対するアジアの反応 1850 ― 1945年 
28 アフリカとオセアニア 1850 ― 1945年 
29 西欧世界 1914 ― 1945年 
30 一九四五年以後の世界規模の抗争とコスモポリタニズム 

訳者あとがき
参考文献
索 引

参考図書

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

 

 

マクニール世界史講義 (ちくま学芸文庫)

マクニール世界史講義 (ちくま学芸文庫)

 

 

世界史 I ── 人類の結びつきと相互作用の歴史

世界史 I ── 人類の結びつきと相互作用の歴史

 
世界史 II──人類の結びつきと相互作用の歴史

世界史 II──人類の結びつきと相互作用の歴史

 

 関連サイト

ビジネスに「世界史の教養」が不可欠な根本理由 | リーダーシップ・教養 ...


https://toyokeizai.net/articles/-/271897 キャリア・教育 › リーダーシップ・教養・資格・スキル
 
2019/03/22 - 多くの人にとって「世界史」というのは高校の科目としての受験世界史のことだと思います。東大など一部の大学を除くと、世界史の入試問題は、「マムルーク朝」とか「ライスワイク条約」とか「地丁銀制」といった歴…
 
 

世界史はなぜ「年号暗記」ではなく「数珠つなぎ」で学ぶべきか |ビジネス+IT


https://www.sbbit.jp/article/cont1/35612 
2018/10/30 - 世界史の教養は、映画、小説、音楽、美術などさまざまなコンテンツを楽しむ上でも、このグローバル時代を生きる上でも、欠かせないものだ。世界史を知れば、人生がより豊かになる。しかし、一般的な世界史の教科書には「わかりにくさ」という ...
 
 

マクニール「世界史」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが ...


http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2010/03/post-92f6.html 
2010/03/05 - 800ページで世界史を概観できる名著。 「シヴィライゼーション」という文明のシミュレーションゲームがある。暇つぶしのつもりで始めたのに、暇じゃない時間まで潰されてしまう危険なゲームだ。マクニール「世界史」もそう。それからどうなる?