戦争調査会
幻の政府文書を読み解く
井上寿一 講談社現代新書
アジア・太平洋(大東亜)戦争は、何故、起きたのか。何故、止められなかったのか。終戦直後(1945年10月30日)に、当時の幣原内閣は「敗戦の原因及実相調査の件」を閣議決定し、それに基づき、その後「戦争調査会」という国家プロジェクトを発足させました。
当時の多くの日本人が、何故あの戦争であんなにひどいことになったのか、よく分かりませんでした。戦後70年以上を経過している今でも、どれだけの日本人が、あの戦争のことを理解しているでしょうか。
「戦争調査会」は、調査結果を報告書にまとめることなく、GHQにより、1946年9月30日付けで廃止されました。著者は、この未完の国家プロジェクト「戦争調査会」を検証し、何故戦争が起きたのかを明らかにしようとします。前半では戦争へ至った時代背景を再現し、後半では戦争調査会の資料を手がかりに、道を誤った原因を提示します。
軍部が暴走したということは、よく言われます。何故、暴走するような下地ができてしまったのかは、本書での幣原喜重郎の「戦争調査会」の発言によると、「第一次世界大戦後の”平和とデモクラシー”の風潮が軍部を追い込み、のちの反発につながった」というようなことが書かれています。その背景があって、満州事変が起き、拡大を止められず、盧溝橋事件から日中戦争に突入していきます。そして、停戦を模索するも実現せず、三国同盟と仏印進駐により米英との対立を生み出してしまいます。
日米交渉をうまく成立させれば太平洋戦争は防げたかもしれないのに、中国から撤退するような判断はできず、結局、開戦に踏み切ってしまいます。その後も、早く停戦できれば、被害も限定的に収まったのに、最後の最後の聖断でしか太平洋戦争を止めることができませんでした。
結局、日中戦争にせよ、太平洋戦争にせよ、止めるためにはマイナスに行かざるを得ない状況で、勇気ある撤退を選択することができなかった積み重ねが、あの戦争だったのだと思います。
内容紹介
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、GHQによって1年弱で廃止された未完のプロジェクトが明かす「昭和の戦争」の実像。
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。
1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。
幣原自らが総裁に就き、長官には庶民金庫理事長の青木得三、各部会の部長には斎藤隆夫、飯村穣、山室宗文、馬場恒吾、八木秀次を任命し、委員・職員は100名ほどという、文字通りの国家プロジェクトだった。
多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。
なぜ戦争は始まったのか?
分岐点はいつだったのか?
なぜ戦争に敗れたのか?
日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、GHQによって1年弱で廃止された未完のプロジェクトが明かす「昭和の戦争」の実像。(引用元:講談社Book倶楽部)
著者紹介
井上 寿一(いのうえ・としかず)
一九五六年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程、学習院大学法学部教授などを経て、現在、学習院大学学長。法学博士。専攻は日本政治外交史。内閣府公文書管理委員会委員、特定歴史公文書等不服審査分科会委員。主な著書に、『危機のなかの協調外交』(山川出版社、吉田茂賞)、『日中戦争下の日本』『戦前昭和の国家構想』『終戦後史 1945-1955』(いずれも講談社選書メチエ)、『吉田茂と昭和史』『戦前昭和の社会 1926-1945』『第一次世界大戦と日本』『昭和の戦争』(いずれも講談社現代新書)、『戦前日本の「グローバリズム」』(新潮選書)、『昭和史の逆説』(新潮新書)、『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)、『政友会と民政党』(中公新書)、『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)などがある。
目次
はじめに
第一部 戦争調査会とその時代
第一章 戦争調査会の始動
第二章 戦争調査会は何を調査するのか?
第三章 戦争回避の可能性を求めて
第四章 未完の国家プロジェクト
第二部 なぜ道を誤ったのか?
第五章 戦争の起源
第六章 戦争と平和のあいだ
第七章 日中戦争から日米開戦へ
第八章 戦争の現実
おわりに
参考文献
あとがき