影の現象学
大学の中で影のはたらきの凄まじさを身をもって体験されつつあった時代、1969、1970年の2年にわったて、非常勤講師の著者が京都大学教育学部で行った「心理療法における悪の問題」という講義が本書の基になっています。
ユング派精神分析家である河合氏は、影との「つき合い」は危険に満ちているが、その意義も深いと述べています。「影の病い」として二重人格を挙げているほか、「集団の影を背負うことを余儀なくされた人は、(中略)予言者、詩人、神経症、精神病、犯罪者になるか、あるいは一挙に影の反逆に成功して独裁者となるか、なんらかの異常性を強いられる」と指摘から推し量りますに、本書での「影」は個人・集団内で認められない価値観が別の姿をとって現れた症状や社会現象と考えられます。
人間の心は時として本人でさえ理解できません。何故ならば精神分析家の観察は岡目八目で、本人でさえ理解しがたい心の動態を上手く捉える場合もあれば、他人の勝手な想像に堕する可能性も否定できません。しかし、多くの人に共通する精神上の法則が存在することもあります。本書はそうした法則のいくつかについて説明してくれています。例えば、「実際これらの人(対人恐怖症の人)は床屋に行くのにどんな髪形をして行くかを思い悩んでいるような人たちなのである。(中略)そのままの髪をして床屋に行き、まかせること。これがずいぶんと難しいことなのである」、「子供は真実を見抜く力をもつが、それを語ることが及ぼす結果の恐ろしさを予見する力はもたない」といった指摘は的を得てると思います。
本書は、心の中にある影の存在や影との対峙の有用性と危険を教えてくれますが、同時に、その対峙は本人にしか行えず、専門家は見守るしかないことも吐露しています。
内容紹介
影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合を変化させながら付き従ってくる。それは「もう一人の私」ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は自分自身にとってのみならず、人間関係においてもきわめて重要である。刺激に満ちた万人必携の名著。
解説 遠藤周作 より一部抜粋
これは名著である。少なくとも私は、はじめてこの本を読み終わったときに味わったなんとも言えぬ充実感は今でも忘れられない。
私のように少年のころから古い型の基督教の教育を受けた者には人には言えぬ悩みがつきまとっていた。
その悩みは大まか言うと、自分は二重人格者ではないかということだった。いや、二重人格者どころか、三重人格者ではあるまいかという気持ちがたえず、つきまとっていたのである。
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この本がきっかけとなって、私は人間を描くうえでいろんな視野をひろげることができた。たとえば、文化人類学の本にも興味を持ちはじめたのも、日本で最もすぐれた深層心理学の河合教授のもろもろの著作のお蔭であることはいうまでもない。
それまで非科学的、非客観的(?)、奇怪な非合理的なものとして一笑にふされたり、たんなる「偶然」としか考えられなかったものに、深い意味があることや、また西欧的な思考方法や思弁のみを正しいと思いこんでいたわれわれに、東洋思想や仏教の考えを改めて尊重させてくれる起点もこの本の中に含まれている。大きく言うならば、私は「科学と宗教」の調和という、おそらく二十一世紀の思想の足音をこの本の中に聴くこともできる。
そういういろいろな可能性をこの一冊の本が含んでいることを読者は知ってほしい。くりかえすが、この本は戦後の名著の一つなのだ。
著者紹介
河合 隼雄(かわい・はやお)
(1928-2007)兵庫県生れ。京大理学部卒。京大教授。日本におけるユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。文化功労者。文化庁長官を務める。独自の視点から日本の文化や社会、日本人の精神構造を考察し続け、物語世界にも造詣が深かった。著書は『昔話と日本人の心』(大佛次郎賞)『明恵 夢を生きる』(新潮学芸賞)『こころの処方箋』『猫だましい』『大人の友情』『心の扉を開く』『縦糸横糸』『泣き虫ハァちゃん』など多数。
目次
学術文庫版へのまえがき
第一章 影
1.影のイメージ
2.ユングの「影」概念
3.影の種々相
第二章 影の病い
1.二重身
2.二重人格
3.夢の中の二重身
第三章 影の世界
1.暗黒
2.不可視の影
3.地下の世界
第四章 影の逆説
1.道化
2.トリックスター
3.ストレンジャー
第五章 影との対決
1.自我と影
2.影との対話
3.影と創造性
あとがき
解説 遠藤周作
参考図書