現代語訳 論語と算盤
[訳] 守屋 淳 ちくま新書
渋沢栄一は、天保年間に現在の埼玉県深谷市に豪農の子として生まれます。尊皇攘夷に傾倒し、志士たちと交わったが、一橋家の用人に誘われて一橋慶喜の家来となります。そして、慶喜と栄一は信頼関係を結びます。栄一は、慶喜は有能なので側面から幕府を支えるべきと考えていました。その後、慶喜は将軍に就任します。栄一は慶喜の弟の徳川昭武の随行員としてパリに行き、万博を見学しています。このとき栄一は資本主義をもとにした経済力がヨーロッパの強大な力を支えていることを実感します。
この見学中に日本では大政奉還になり、一行は急遽帰国せざるを得なくなります。帰国後、栄一は商法会所を設立します。銀行兼商社みたいなものです。日本における会社組織のはしりといわれています。大隈重信に説得され、栄一は大蔵省の官僚になります。栄一やその上司の井上馨は財政規律を欠いた支出には賛成できない立場で大久保利通と対立します。栄一は官僚を辞めて実業界に飛び出します。
渋沢栄一は、王子製紙、東京海上火災、日本郵船、東京電力、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JR、日本商工会議所、東京証券取引所、日本赤十字社、聖路加国際病院、一橋大学、早稲田大学、同志社大学、日本女子大学の設立にも関わっています。ノーベル平和賞候補にも2度ノミネートされています。
渋沢栄一は、あくまでも国を富ませ、人びとを幸せにする目的で事業育成しており、岩崎弥太郎(三菱)からの強者連合の誘いを断っています。
渋沢栄一は、お妾さんも多く、子どもは30人以上いたらしい。最後の子ができたとき栄一は80歳を超えています。バイタリティの塊みたいな人だったらしいです。
『論語と算盤』は、渋沢の講演の口述筆記を弟子たちが機関紙に掲載したものから、テーマ別に編集して1916年に発刊されたもので、本書はその現代語抄訳です。
その中で渋沢は、利益も競争もなんら卑しいものではなく、特に多くの人々や社会の利益になる仕事をすべき、また、成功とか失敗だけを眼中に置くのではなく、「天地の道理」を見て、人としてなすべきことの達成を心がけるべきと語り、「利潤(=算盤)と道徳(=論語)を調和させる」という、経済人がなすべき道をについて説いています。
市場経済至上主義が限界に直面する現代において、改めて読み直されるべき本と思います。
内容紹介
日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。
「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。
明治期に資本主義の本質を見抜き、約四百七十社もの会社設立を成功させた彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。
経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。引用元:筑摩書房
著者等紹介
渋沢 栄一(しぶさわ・えいいち)
1840(天保11)~1931(昭和6)年。実業家。約470社もの企業の創立・発展に貢献。また経済団体を組織し、商業学校を創設するなど実業界の社会的向上に努めた 。
守屋 淳(もりや・あつし)
1965年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務後、中国古典の研究に携わる。雑誌連載、講演などを数多く行う。
目次
第1章 処世と信条
第2章 立志と学問
第3章 常識と習慣
第4章 仁義と富貴
第5章 理想と迷信
第6章 人格と修養
第7章 算盤と権利
第8章 実業と士道
第9章 教育と情誼
第10章 成敗と運命
参考図書